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05/08
ラプンツェルの味
三つ子の魂というけれど、今自分のしていることを思うにつけ、子供の頃からちっとも変わっていない気がする。私はとにかくお絵描きさえしていれば文句のない子供で、そうでなければ本を読んでいるかのどちらかだった。小学生の頃は色んな衣裳を着たお姫さまを描くのが得意だった。私の「お姫さま絵」はけっこう人気があって、休み時間には街頭絵描きよろしく同級生の女の子たちに取り囲まれて描いていたものだ。そのうち皆のリクエストに応じるようになり、時に休み時間内でこなせないとなれば、家に持ち帰り宿題そっちのけで注文の絵を仕上げたりしていた。今でいうならコスプレイラストかな。オーダーは簪や髪飾りをどっさりつけた振り袖姿(いわゆる歌舞伎の「赤姫」というやつね)、たてロールの金髪巻き髪にティアラ、マリー・アントワネット風デコラティブなドレスのプリンセスタイプ、それからマントにサーベルの騎士のいでたちの男装バージョン(「リボンの騎士」by手塚治虫が流行ってたからね)が主なるバリエーション。金髪やシルクの生地や宝石の質感を色鉛筆のグラデーションで表現するテクニックも身につけ、ドレスのデザインを考えたり、ヘアスタイルやメークに凝ったりして飽きることがなかった。もちろん眼にはぎっしり星が輝いているのだ。そして私のもうひとつのお絵描きジャンルは「食べ物絵」であった。これまた飽きることなくテーブル一杯に並べられたご馳走の絵を描くのである。ご馳走といっても実際には見たことも食べたこともないものを描くわけで、いつもワンパターン。足つきコンポートには葡萄や桃など果物(考証的には不適当だがマスクメロン=豪華も)、鶏の丸焼きに得体のしれない骨付き肉の盆、カゴにパンが盛られ、ごちゃごちゃしたおおげさなケーキも必ず描いた。そうそう、装飾的な蓋つきのスープ入れに銀の燭台、ワインの入った壺も忘れてはならない。お皿やテーブルクロスの模様を描くのも面白かった。今にして思えば、18世紀あたりのヨーロッパ王侯貴族の食卓といったところか。それは当時の私にとって憧れの異国文化、グルマンディーズ、精一杯のファンタジーを詰め込んだつもりだったのだろう。世界の児童文学を片っ端から読破していたが、繰り返し読む本は決まっていた。「家なき子」「小公女」「アルプスの少女ハイジ」「不思議の国のアリス」「ロビンソン・クルーソー漂流記」(漂流ごっこは遊びの定番。ちゃぶ台をひっくり返して枕などを荷袋に見立てて積み込み、6帖間で漂流してた)「あしながおじさん」---これらの本には共通項がある。魅力的な食べ物の表記が出てくるのだ。筋は承知の上だから、その場面だけを何度も味わって読んでいた。どんな味なのか想像してみるのは楽しく、冒険物語以上にわくわくしたものだ。幻想の味はいつも美味なのだ。小公女セーラ(同じ著者だけど小公子はグルメではなかったので、あまり食指が動かない)が食べていた「葡萄入りの丸パン」とはいかなる味なのか。甘パン(ブリオッシュのことだったんだろうか)は富の象徴、黒パンはその逆だった。大富豪がサプライズで整えてくれたお茶とサンドウィッチのテーブル(さすが英国人!)は夢のようだった。ただのトーストかもしれないのに、アリスがいう「バタつきパン」は特別に感じた。ハイジが山小屋ではじめて食べたのは、たしか「暖炉の火で炙った一切れのチーズと黒パン」だったはず。あしながおじさんのジュディが孤児院で忌み嫌っていた「大黄パイ」すらも美味しそうだった。ロビンソン・クルーソーが難破船から運び出した食料のリストは暗記できるほどだった。ラム酒ひと樽という魅惑的な響き。焚き火で焼く大麦パンやヤギの干し肉も野趣に満ちたご馳走に思われた。アンデルセン童話よりグリム童話のほうが好きなのも、炙り肉やらぶどう酒、豆のスープだとか美味しそうだったからだ。ラプンツェルの話で、その怒りをかうのは分かっていながら魔女の庭から盗んで食べずにはいられなかった「野ちしゃ」(ラプンツェルの名前の由来となる)なる野菜はどんなに美味なのだろうと興味津々。物語ではないが、テレビの「ララミー牧場」でカウボーイ達が金物の皿で食べてる煮豆(ベイクドビーンズか)にも憧れた。なかでも衝撃的だったのは「家なき子」の冒頭でレミが自分の出生を知る場面。マルディ・グラ(もちろんこれが何なのかは知る由もない)のお祭りの日に(実は血の繋がっていない)母や妹と貧しいながらも卵やバター、小麦粉を工面してパンケーキを焼いて祝おうとしていたところへ、突如出稼ぎに出ていた荒くれ者の父親が戻ってくる。有無を言わさずパンケーキはとりやめになり、父親が天井に吊るされたタマネギをステッキでたたき落とし「これでタマネギのスープを作れ」と命令するのだ。無頼な義父のふるまいは言語道断だが、とてつもないシズル感があって、なんとしてでもこのタマネギのスープを食べてみたい!と思ったものだ。つまりオニオンスープなんだけどね。せっかくのマルディ・グラのパンケーキ(ハレの食事)がオニオンスープ(ケの食事)に化ける転換も面白かった。その影響かどうか、私が自分で最初に作った西洋料理はオニオンスープだったと思う。タマネギをバターで炒め、小麦粉を振り入れ、飴色になったらブイヨンを注ぐ----。それがどれほどフランスの田舎の味に近かったかは知らないけれど、いたく満足し以来オニオンスープは十八番になった。こうして私の食い意地は現在に至るまで着々と熟成、拡大し続けたのだ。

この頃私は週末になるといそいそと(去年改装して作った)アトリエのある実家に行き、絵を描いている。お姫さまではないものの、描くのはあいかわらず女性像ばかりだ。絵に向かっている時の気持ちはお姫さまを描いていた昔と同じであり、ただひたすら無心なのが楽しい。絵の具を広げてもくもくと作業に没頭するのは、例えばレース編みや刺繍に似て、ある種瞑想と同じ効果があるらしく頭がすっきりリラックスする感じ。実家にはコンピューターもなく、仕事をしようにもできない。アトリエにはまだ音響機器もないから、音楽も聴かない。そのうち揃えることになるかもしれないが、今のところこのシンプルな環境が気に入っている。実家のあるあたりはまだ静かで、日中窓を開けていると気持ちのいい風が通り、庭にやって来る鳥のさえずりが聞こえるばかりだ。時たま庭のささやかな菜園に出て、ラプンツェルならぬルコラやチコリを摘む。子供の頃に想像した魔女の野ちしゃの味なのかどうかは分からないけれど、とにかく摘みたて野菜のサラダは目が覚めるくらい旨い。都会のマンション暮らしでは叶わない炭火焼きも思う存分楽しめる。グリム童話のなかで王子様も狩人も仕立屋も森番たちも皆食べていたご馳走、念願の炙り肉というわけだ。

※写真は最近のお絵描き作品。ほんとのタイトルはラプンツェルではないのですが--。
ラプンツェルの味