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01/08
スノーボールの世界
昨年末イタリアから帰ってきて以来、なんだか脱力したままぼうっとしている。ちょっと言葉にするのは難しい、きちんとこの東京での日常生活に着地していないような、着地したくないような感覚。当初は時差ボケのまま正月ボケに突入したせいかと思っていたけど、どうやらそうでもないらしい。旅も日常のひとつのかたち、というか人生ってつまり旅を続けているようなものと感じているんだけど、それでも実際に飛行機に乗って東京の(いわゆる)日常からある一定の距離はなれてみると、自分自身やまわりのことや人生とか世界のかたちとか、いろいろ見えてくるものです。だからこそ「旅」は必要なのかも。かつての思想家たちが何故いつも旅していたかが分かるような。今回の旅行中、ずっとそんなことを考えていた気がする。東京の生活は混沌としていて、何より時間の流れ方が尋常でなく、ときどき息苦しくなってくる。ともすると雑多な日常の中に流されていき、その日常も知らないうちにどんどんバーチャルになってしまって、生きる実感が希薄になっているような。便利さ、効率、スピードとひきかえにいろんなものを失っているのに気づかない怖さ。本当に必要なものは何なのか、大切なものは何なのか分からないまま、時間だけどんどん加速して過ぎていく。走り続けているとその変化が見えなくなってしまうから、時々立ち止まってみなければと思う。この10年余り少なくとも年に一度はヴェネツィアの空気を吸わないと、自分らしさが保てないような気がしている。大切なものに気づいてかみしめる、自分の軸みたいなものを確認する、私にとってヴェネツィアはそういう特別な場所だ。そして久しぶりに過ごしたイタリアのナターレはいささか後遺症をもたらすほど濃い〜い日々だったのだ。

ある日曜日、いつものようにマンマとお仲間のシニョーラ数人でムラーノ島へ出かけた。ムラーノの公民館でナターレの時期に行われる教区の納会があるのだ。ヴェネツィアはパロッキアという教区、いわば町内会のようなコミュニティーに分かれていて地域活動の拠点となっている。いずこも同じメンバーの大半はマンマのような年配者なので、その納会となれば老人会の様相を呈する。いくらかの年会費を払うと、ここで企画されるグループツアーや食事会に参加できるしくみになっているらしい。ほとんど「親孝行」のつもりで同行しているので、格別何も期待していなかったが、これはかなりディープな体験だった。完璧なる町内会ノリ。よく学芸会なんかで見かける、あの色紙で作る飾りは世界共通スタンダードなのだと知った。地元名士の会長による開会の挨拶に続いてお約束の懐メロバンド---とりたてて盛り上がるわけでもなく、ひたすらまったりどこか哀愁漂う時間が流れる。紙トレーにのったピッツェッタ(小さなピッツァ風カナッペ。余った分は残らず持ち帰り、しばらくアペリティーヴォのつまみとなった)、トラメッツィーニ(サンドウィッチ)、パネトーネ、それから紙コップのワインも配られて、適当に酒が入ったところでダンスパーティーとなる。誘われるままにマンマと踊るイサオ君。当然我々は注目の的なんだけど、こっちはまるで古〜い映画の場面に入り込んでしまったかのような非現実的な気分になって、なかば幽体離脱状態に。が、気がつけばしまいには皆と一緒に「我がレオーネ!我がヴェネツィア!」とヴェネツィア国歌を合唱していたんである。帰り道、一番年長のシニョーラを送りがてら、ちょっとお宅にお邪魔してカフェとグラッパをご馳走になる。マンマを含め全員ヴェネツィア生まれ、平均年齢80才を超える彼女たちのヴェネツィア弁のおしゃべりはあいかわらず強力で、滅多に相手に同調することはないのだけど、ある一点に話題が及んだとき、そうだその通りと突如意見が一致した。「生まれて此の方ずっとヴェネツィアだけど、いまだに毎日美しい発見があるんだよ」と口々に熱を込めて語るのだ。例えばそれはパラッツォが夕陽を受けて黄金色に輝く一瞬。路地から河岸に出るとぱあっとひらけるセレニッシマな空。教会の古壁にひっそりと咲くクレマチス。サンマルコの鐘楼に冴えざえとかかる月。ボートが行き交う運河の水面のきらめき。うっかり迷い込んだ径の先の緑の中庭。朝靄に浮かぶサンミケーレ島---。私自身ヴェネツィアが見せる美しい瞬間にいつも圧倒されているけれど、生粋のヴェネシアンであるシニョーラたちもまた同じように感じているということに今さら驚き、そしてちょっとうろたえるくらい感動してしまった。ヴェネツィアが美しいというのは誰もが認める事実に違いない。だけど老境を迎えたマンマたちが自分の生きる世界と人生に日々感動できるというのは、あたりまえのようで実は凄いことじゃなかろうか。やはりヴェネツィアはここにしかない特別な磁場のような力を持った場所なのかもしれない。などと思い巡らす間にも、目の前の窓には泣きたくなるほどのスペッターコロ、刻々と菫色のグラデーションに暮れゆくラグーナの夕景が広がっていた。

ナターレは友人アントネッラの実家に招待され、北フリウリはスロヴェニアの国境近くの山村に行った。イタリア人にとって24日と25日は、ごく内輪の家族だけで過ごす親密な2日間である。いわば日本の元旦のようなものなので、そこへ外人たる我々が同席するのはどうなのだろうとも思ったけれど、まあ招いてくれたんだから、ここは例によって遠慮なく無邪気に訪ねることにしたのだ。伝統的なナターレの食事にもおおいに興味があったしね。ヴィジリア(VIGILIAクリスマス・イヴ)の夜は魚料理、午前零時にスプマンテとパネトーネ、翌日ナターレの正餐にがっつり肉料理を食べるのが習わしだ。果たしてアントネッラのマンマが腕をふるった郷土料理は、まさに身も心もあたたまる素晴らしい味だった。栗とポルチーニのズッパ、バカラ(干鱈)とポレンタ、フリッコ(カリカリの煎餅状に焼いたチーズ)、ストゥルッキ(クルミあん入り団子のようなお菓子)。この地方独特の山小屋風の家の食堂は、暖炉の火がぱちぱちと音を立てて燃えていて、そこへ大きなスープ鍋がかけてある。まるで子供の頃読んだ絵本にでてくるようなシチュエーションそのまま。森の熊さんやきこりのおじさんが住むお家のような、ああいう感じなのだ。お腹もいっぱい、ほんわかとすでに夢心地の私たちだったが、この夜はこれからがクライマックスなのだ。午前零時を目指し、車でさらに約20分北へと向かう。麓から百段ほどの超急勾配の石階段(手すりがわりにロープが張ってある)を登った山の中腹には天然の洞窟、グロッタがある。その内部は石を刻んだ祭壇のある神秘的な雰囲気の礼拝堂になっており、ここでナターレのミサが行われるのだ。広い洞窟内にはすでに300人くらいの地元の人々が集まっていた。外は凍てつくような寒さだったけれど、大勢の人々がいるせいか中は思ったよりあたたかい。ミサは神父の講話と祈り、それからナターレの賛美歌が交互に続き、荘厳ななかにも素朴で穏やかな空気に包まれていた。小1時間のミサの終わりに、参列者が誰彼かまわず傍にいる相手と「パーチェPACE(ピース)」と言い交わしながら握手をする。日本にいるとつい忘れがちだけど、外国人は自分たちだけというこのような状況では、世界の片隅に生きているという強い実感がひしひし湧いてくる。私たちが住んでいるのは、この洞窟のような小さな世界なのではないだろうか。見知らぬ同士が微笑みながらお互いの幸せを願うのが、いとも簡単なことのように思える瞬間。ふっと世界平和なんてことも夢みてしまいそうになる。でも現実はそうではない。ここから目と鼻の先のスロヴェニアもナターレの数日前にEUの仲間入りをし、パスポートが不要になったばかりだが、つい10数年前までは悲惨な内戦が続いていたのである。国境近くの土地に住む人たちは皆そのことを実体験として知っているのだ。翌日のナターレにはチョコレートとお砂糖で飾られたパネトーネを食べ、イタリア語、スロヴェニア語、そして日本語の3カ国語による「きよしこの夜」を歌った。

ヴェネツィアに戻ってから、なぜかもの凄くスノーボールが欲しくなってしまった。世界中何処の観光地でも必ず売っている、ガラスの小さなドームにミニチュアの名所旧跡、紙吹雪と水が入ったチープなスーベニールだ。駅前の土産物屋をあれこれ物色したあげく、ゴンドラやサンマルコ広場にリアルト橋まで配した最も典型的なのを買った。ヴェネツィアに通って随分経つが、絵葉書以外こういう土産物を買ったのは初めて。ひっくりかえすとゴンドラにチラチラと雪が降るのがかわいく、心なごむ。(実際のヴェネツィアはあんまり雪は降らないけどね)スノーボールの小さな世界はいかにも平和そうだ。平和かどうかは別として私たちの世界も同じように閉じた環境だ。どうあがいても空間的にも時間的にも今ある状況から逃げ出すことはできない。この世界は思ったよりずっと小さく、そして確実にすべてが響きあっている。世界の何処かで起こっている問題は、即自分の問題でもある。よく「ヴェネツィアは沈んでしまうんだって」と心配してくれる人がいる。(ヴェネツィアは年がら年中水浸しと思ったら大間違い。長らく通っても、まだ本格的なアクアアルタに出くわしていない。)でも、ヴェネツィアは単独で沈んでいく(正しくは冠水していく)のではない。温暖化という地球レベルの出来事のひとつにすぎないのであって、ヴェネツィアがすっかり冠水してしまう頃には東京だってかなりの部分が危ないということだ。遠くのヴェネツィアのことを案ずるのもいいけれど足下を見よ、ということである。私たちの世界はたったひとつしかなく、何処へ向かっているのかたしかな答えはまだ出ていない。つまり、まだ間に合うかもしれないのだ。ジョン・レノンも歌っているように、ただ夢みているだけなのかもしれない。でもそんな世界を思い描いてみなければ、未来は始まらない。
スノーボールの世界