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2005年が明けた。初めて迎えた「喪中の正月」は、お飾りもおせちも年賀状も初詣もない。なんだか普段の休日とあまりかわりばえせず、年があらたまった実感が一向に湧かないものだった。いままで元旦の朝といえば、着物姿の父が新年の挨拶をするのが、我が実家の決まり。父はセレモニーを仕切るのが大好きであり、なかでもお正月は格別だったようだ。父にとってこの日は、ややもすると私たち家族が忘れがちな「家長の威厳」を発揮する、ちょっとした晴れ舞台だったのかもしれない。(おまけに父が一番楽しみにしていた正月の恒例行事、麻雀もまだ封印状態のままだ)お正月の主役であった当の本人がいないのは、やはりぽっかりとした不在感がある。いつもおせちを囲んでいた客間は今では仏間になってしまい、元旦も普段通り茶の間で食事。お正月の数日を、おせち料理なしの普通モードで過ごすのはかえって面倒だということがよ〜く分かった。おせちなら、準備に手間はかかるものの、一度作ってしまえば後は毎回それを食べていればよい。お雑煮におせち、たしかに飽きてくることもあるけれど、それもまたお正月ならではの醍醐味というものだ。この頃はスーパーも元旦から営業していたりするので、年末に食材を買い込んでおく必要もなく便利なのだが、お正月独特の緊張感というか、ぴしっとしまった雰囲気はなくなってしまい、寂しいかぎり。いくらイタリアかぶれとはいっても、きっちり日本人なんだなあと痛感。当たり前か。来年からは家ではなくて、どこか温泉に行くとか、お正月の過ごし方を変えたほうがいいかもしれないなと思う。暮れのナターレには、ヴェネツィアへ電話をした。ヴェネツィアの家では、次男のダニエレ一家4人がパリから里帰りしていて、賑やかに過ごしていた。電話の向こうで、マンマがバカラ・マンテカート(おせち料理同様、干しダラを使った手間のかかる伝統料理)の準備をしている最中で、息子の嫁であるフラヴィアや、まだ0才のジョヴァンナの声も聞こえ、暖かく楽しそうな気配が伝わってくる。4才になるジューリオが自転車ごと運河に落っこったけれど大事には至らなかったこと、アクア・アルタはやはり心配する程でもなかったことなどを聞いた。久しぶりの家族水入らずの団欒に、マンマは随分はりきっている様子だった。肝心のダニエレはバールにスプリッツを飲みにいっているとかで外出中。ナターレの故郷の町を満喫しているのだろう。年末から新年にかけて故郷で過ごすというのは、イタリアでも同じである。そうか、今度からは母たちを連れて年末をヴェネツィアで過ごすのもいいかも。寒いけどね。こういうのをイタリア語でCAMBIAMENT D'ARIAという。直訳すると「空気を変える」だけれど、環境を変えて気分転換をはかる、つまり心機一転みたいな意味合いで使う言葉である。 個人的にもかくもぱっとしなかったけれど、スマトラ沖大地震に続いて、新年早々各地の異常気象による災害のニュースが次々と伝えられ、ぱっとしないどころか、世界はやはり終末に向かっているんだろうかと、暗い予感に満ちた不穏な幕開けとなった。そして1月も、もう半分を過ぎた。時間が経つのはとても早い。私はだいたい午前中に家事、午後は仕事のパターン。夜はなるべく仕事をせずに、家族や友人と過ごしたり、或いは自分のために使うようにしている。が、仕事がたてこんでくると、どの時間も侵食されてしまうので、よっぽど段取りよくしていないと、一日はとても短く、あっという間に過ぎてしまう。日常の雑事(免許更新、健康診断、税金申告の季節だ!)というのも、ものすごく時間がかかるもので、自分のためのクリエイティブな時間を作り出すのはだんだん難しくなっている。(子供のいない私ですらこうなのだから、子育てしながら仕事をしている人はもっと大変だろう)この数年、父のことや、自分の体調のこともあって、思うようにできなかった気がしている。まあ、人生の中で立ち止まる時も必要なので、それはそれで無駄ではなかったと考えているが、やりたいことをするには、思ったより時間がないのかも。少なくともつまらないことにかかわっている時間などないのはたしかだ。今月末に父の一周忌を迎える。それをすませたら、ひと区切りをつけて、またいろいろと始めたいと思っている。本来なら節目となるべき年の初めにできなかったスタートをするいい機会だ。とりあえずお休みしている料理教室を再開し、手をつけられないでいた絵もまた描き始めなければ。こちらもCAMBIAMENT D'ARIAして、前へ向かって走り出そうと思っている。この場でそう宣言しておいたほうが、自らにプレッシャーをかけることになっていいかもしれない。 |
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