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12/04
とってもヴェネシアン
この頃よく同じ質問をされる。「ねえ、ヴェネツィアってどんどん沈んでるんだって?」これはこの時期必ずテレビで報道されるお約束のニュース、「アクア・アルタで水浸しのヴェネツィア、サン・マルコ広場で観光客が立往生」という映像を見ての反応である。(去年の12月のダイアリーもアクア・アルタについてだったな)この質問に対し、私がヴェネツィアでは珍しくないことなのだと説明すると、大概の人は「台の上を歩かなくちゃならないような浸水がしょっちゅうだなんて」と半分呆れるようだ。さらに、沈まないうちにヴェネツィアに行かなくちゃ、なんて冗談めかしていわれてもなあ。(それをいうなら、直下型地震が来る前に東京に行かなきゃ、という方がリアリティがある)声を大にして言いたいのだけど、ヴェネツィアは浮き島じゃないんだから、ずぶずぶと沈んでいってしまうわけではないのだ。たしかに地盤沈下や排水の問題もあるが、潮位なので冠水したといって一日中、ましてや何日も浸かりっぱなしではない。晩秋から冬にかけての季節、ヴェネツィアはアクア・アルタに見舞われることが多い。何年に一度位の割合で被害がでるような規模になるものの、要は風物誌というか気象現象なのだ。(近年最もシビアだったのは2002年11月のアクア・アルタ。いつも行くカフェ屋にはその時の様子を物語る写真が貼ってあった)とはいえ、たしかに今年は例年より頻繁に起きているようだ。が、これも地球レベルでの気象異常に由来するものだと思われ、となれば何もヴェネツィアに限ったことではない。実際、ヴェネツィアの友人たちは今年の日本の台風や地震の被害をニュースで知って、私たちのことを心配していたりする。しかし、かくいう私、実はまだ本格的なアクア・アルタに遭遇したことはない。今年の秋に行ったときも、私たちがバッサーノに出かけている隙(?)に、例の台を持ち出すほどの潮位になったらしい。ヴェネツィアに戻った時には、河岸すれすれかせいぜい数センチかぶる程度にすぎず、マンマには「昨日だったら台の上を歩けたのにね」と言われた。その時マンマはこの台のことを「PASSARELLE」と呼び、もしかするとヴェネツィア語かもしれないけどね、とつけ加えた。ヴェネツィアにしか存在しない代物なんだから、ヴェネツィア語であって当たり前と思ったが、このように自分が喋っている言葉がイタリア語なのか方言なのか、判別がつかないところがイタリア語ならではの面白さ。(後で調べたらPASSARELLEは渡し板という意味の立派な?イタリア語だった)。マンマとの会話中、私たちが伊日辞書(分厚い辞書をヴェネツィアの家にボトル・キープならぬ辞書キープしてある)を引いて調べる場合も、たまに「イタリア語では何だっけ」とか「はて、この言葉の原型は」などとまごつくことがある。その度にイタリア語の文法、GRAMMATICAは難しいったらありゃしない!ということになるんだけど。それでも、マンマは私たちと話す際は、できるかぎりイタリア語を混ぜようと努力しているらしい。だから地元の住人同士の会話、ほぼ100パーセントヴェネツィア語となると、我々にはなかなか分かりづらい。

この間ホームページ読者の方から、ヴェネツィア語の辞書というものはあるのかというお尋ねのメールをいただいた。私の知る限り、最低ひとつはヴェネツィア語辞書が存在する。昔、ヴェネツィアの古い本屋で手に入れたものだ。しかし、名詞を確認する程度ならいいけれど、例文が少なく版も古いので、実用的とはいえないものだった。おそらく(ヴェネツィア語に限らず)方言を大系づけて辞書の形にまとめるのはかなり難しいのだろう。ただ辞書ではないけれど、ヴェネツィアの歴史やガイド、料理の本などには、カテゴリー分けしたイタリア語=ヴェネツィア語のレファレンスがついていることが多い。どうやらヴェネツィア語は数あるイタリアの方言の中でも、かなり独特な言葉のようだ。ことに魚をはじめとする食材は、ごくローカルな独特の名前だらけなので、ヴェネツィア語で書かれた古風なメニューなど、知らなければ何のことだかさっぱり分からないからだ。例えばアサリはイタリア語でヴォンゴレだが、ヴェネツィアではカパロッソイ或いはカパロッツォイと似ても似つかぬ名前だし。グラスのBICCHIEREはGOTOで、椅子SEDIAはCAREGA、例をあげればキリがないが、固有名詞はいうに及ばず、動詞や助動詞までも全然違うのだ。ヴェネツィア語の音の特徴としては、まず促音が少ない。猫、GATTOはGATOなので、ガットではなくガト。眼鏡、OCCHIALIはオッキアーイではなくオチアイ(まさしく「落合」と聞こえる)。音の省略も多く、CAPITO(カピート)→CAPIO(カピオ)、POLENTA(ポレンタ) →POENTA(ポエンタ)なので、どこかメリハリに欠けた、間抜けなムードが漂う。決定的に古くさく土着なヴェネシアン(ヴェネツィアンではなくVENEXIAN)の感じを出そうと思ったら、語尾に「CIO?」とつけるのを忘れてはならない。単なる確認のための強調音なのだが、ほんとにいちいち「チョ?」とつける人がいるので笑ってしまう。アメリカ人だったら「YOU KNOW?」、日本人だったら「でしょ?」と言ってるみたいなものかも。かくして全体にゴゲガゴと濁音が多く、あんまり抑揚のない、何となくもっちゃりとした感じのヴェネツィア語ができ上がる。しかし、驚くべきことに一口にヴェネツィア語といっても、ちょっと離れたエリアだと微妙に違ってくるのだそうだ。もちろん、ブラーノなどの他の島では明らかに違ってくるらしい。つまり、イタリア語とはミクロからマクロの範囲において、どこまでいっても方言の集合体なのである。フィレンツェに10年近く在住している女性に聞いたところによると、噂通り彼の地の人々はホハヘホいいながら喋っているそうだ。ダンテもしかり、我が言葉こそ正統派ラテン語由来のイタリア語なるぞというトスカーナ人であるが、Cの発音がHに置き変わってしまうというのは有名な話。(ふつうのイタリア人はHの音なんて発音できないのに)それを揶揄して、フィレンツェには「COCACOLAコカコーラ」はなく、あるのは「HOHAHOLAホハホーラ」だけ、といわれている。まさかなあ、と思っていたけれどほんとに家はカーサでなくハーサらしい。私も最初に出会ったイタリアの言葉がヴェネツィア語であるという事実を身の定めと思い、このまま訛っていくしかないと覚悟している。というか、この際ヴェネツィア語を極めたいような気もしているのだ。
とってもヴェネシアン