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07/04
旅のはじまり
父の新盆をすませ、各手続き関係もほぼ終わり、いろいろな意味でひと区切りついてほっとしている。父の葬儀以来この半年あまり、いつもバタバタしていたが、やっとふつうの生活のペースが戻ってきたようだ。今までは人を招んで食事会をする余裕もなかったけれど、これも徐々に解禁。ずっと保留になっていた友人カップルのヴェネツィア旅行報告会をして、やっと写真を見せてもらったり、話をきくことができた。初々しく若いふたりのパリとヴェネツィア旅行は、数々の初体験カルチャーショックにぶつかりながら、些細なことで喧嘩したり、仲直りしたり、なかなか楽しかったらしい。いろんな失敗や新鮮な驚きのエピソードを聞くにつけ、そういえば私も最初はそうだったっけ、と心当たりのある感じで何だか懐かしかった。(ちょっと年寄りくさい感想か?)紀行エッセイ本やサイトの旅行記、TVの旅番組を含めて、旅行話が好きだ。単純に好奇心が満たされるということもあるけれど、旅先での話には、日常でよりも、ぐっとその人らしさが克明にでるからかもしれない。これはけっこうシビアである。つまり同じ所へ行って同じような体験をしたとしても、当の本人がつまらなければ、面白い話になるわけがないのだ。世の中につまらない旅行記がたくさんある理由もこれ。タレントが案内する企画のテレビの旅番組の多くに、呆れるくらい軽薄なものがあるが、何をかいわんやである。(それでもイタリアが特集されていると、つい見てしまう悲しい習性)旅の時間は、外の世界に触れているつもりで自分自身がはねかえって見えてくる鏡の反射のようなもの。とくに海外旅行ともなれば、言葉の問題、異文化との出会い、状況判断や危機管理能力などなど、様々な試練の連続となる。新婚旅行で気軽に外国に行くのもいいけど、自らのパーソナリティーや実力が(自分でも気づかなかった部分を含めて)しっかり浮き彫りになってしまうから要注意だ。逆に考えたら、一緒に旅ができるかどうかは、すなわち人生のパートナーとしての試金石になるというわけだから、いいのかもしれないけどね。いつも思うことだが、連休の度に「史上最高の海外旅行者数を記録」などと報道されてる割には、この国の国際的水準はちっとも上がっていない気がする。皆何を見聞きし、感じてくるのだろうか。新聞に載っているパッケージツアーの広告をみると、恐ろしいくらいタイトなコースと日程をこなすことになっている。(ヴェネツィアではゴンドラクルーズつきの謳い文句がついているようなやつだ)あれでは取り残されないよう、添乗員にくっついていくのが精一杯になってしまって、カルチャーショックだとか自己発見どころではないのかもしれない。ましてや主な目的がブランドショッピングともなれば、高級ブランド店で文明の衝突ならぬ、殺到した同国人客同士の衝突になってしまうだけ。まあ余計なお世話だけど、旅に行くなら皆さんもうちょっとしっかりして下さい。

かく言う私も秋にはヴェネツィアに行こうと思っている。去年は行けなかったので、なんと2年ぶりということになる。こんなに久しぶりだと、思わず意気込んでしまいそう。それに、今回は特別な準備も必要だ。腰を痛めて以来の運動不足により鈍った足腰と、すっかりたるんだ体を夏の間に調整して、動きやすく身軽になっておかなければならない。日程を秋としたのは、第一には仕事の都合なのだけど、あまり寒くなってしまってからでは、体調的に不安があるからだ。なにしろヴェネツィアの寒さは尋常じゃないからね。旅は行こうと思い立ったときからが始まるもの、というのが持論なので、すでにちょこちょこエアチケットの状況などをネットで調べたりしている。(昔は本屋でガイドブックを探したりしたけど、なんでもネット検索できる昨今、旅の準備も様変わりしたもの)アリタリア航空の行く末も気になるところだけど、なんだか以前より全体に割高な感じだ。秋に開催される美術展やイベントもチェックしてみたら、今年のパラッツォ・グラッシィは「ダリ展」である。秋のヴェネツィアでダリ!というのはなかなか濃い体験になりそう。新装復活したフェニーチェの最初のオペラ公演はトラヴィアータだが、これは11月なのでタイミングがあわず諦めることにする。残念。大事な旅支度のひとつ、飛行機内読書用の本はもう目星をつけてある。キリストの生涯の新解釈と名画の謎解きを絡ませた、あの話題のミステリーだ。身近に置いておくとうっかり読んでしまうかもしれないから、本屋に並んでいてもまだ買わないようにしている。さて、ワードローブはどうしようか。イタリアの皆へのお土産も揃えなくちゃならない。そうだ、この際デジカメも買い替えたい---等々いろいろと忙しくなってきそうだ。なにしろ旅支度だって2年ぶりなのだ、しばらくは旅のはじまりをゆっくり楽しみたい。