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05/04
ピッツァの味
仕事を本格的に再開してみたら、予想通り栓が抜けたようになって忙しい。今年に入ってからのここ数ヶ月の間、仕事以外の雑事もたまりにたまっている。が、家のかたづけやあいかわらず続いている手続き関係など、父の用事もこまごまと残っているし、週末はやはり千葉の実家で過ごすことがほとんどだ。思えば、地元とはいっても高校時代を過ごしただけなので、千葉という土地にはあまり馴染みがない。葬儀の時も地域の情報に疎いため、なにもかも友人たちとそのネットワークの手を借りなければならなかった。イザという時には友人のありがたみがわかるものである。おかげでというのも変だけど、父の葬儀をきっかけに千葉の町に少し詳しくなった。いろいろな用事で、役所や銀行などに出かけることがあるし、親戚や知人、友人たちとなにかと会食する機会が増え、地元の店に行くことも多くなったからだ。歩くのが苦手で出不精の父だったけれど、もっと一緒にあちこち出かけられたらよかったなあと思う。そんななか、唯一最近まで父と連れだってよく行った店が近所のピッツェリアだ。鄙にも稀なといっては失礼かもしれないが、実際、え?こんなところにと思うような中古車センターやパチンコ屋が並ぶ国道沿いにある、ありふれた外観の店である。ここも例によって友人の情報で知ったのだが、実はなかなか本格的なピッツァが食べられる店なのだ。父は歳に似合わず、けっこうチーズ、特にとろりと焼けたチーズが好きだったので、ピッツァは好物の部類に入っていた。そしてなにより駐車場が完備しているのが、車でなら外出をいとわない父にとっては好都合だったのだ。ふつうピッツァはせいぜい前菜やサラダと合わせて注文することはあっても、他の一品料理と取り合わせて食べることはない。もちろんピッツァは粉モノだが、プリモピアットとしてパスタのかわりに食べることもない。たとえていえば、お好み焼き。専門店にでかけていって焼き立てを皆でわっと食べるもの、という感じだ。だから、ピッツァを食べるときは大概賑やかである。この店も本当はトラットリアというかピッツァ以外のメニューもいろいろとあるのだけれど、窯で焼くピッツァが群を抜いて旨いので、結局いつもピッツァを頼むことになる。というか、はじめからピッツァを食べるつもりで行くので、ここでは他の料理は眼中にない、といったほうが正しいかもしれない。北イタリアびいきの私としては、ナポリやローマなどの南イタリアの食べ物であるピッツァには、もともとそれほどの思い入れはない。けれども、私もここではピッツァ一辺倒。適当に力の抜けた感じがイタリアのどこかの地方都市にあるような、日曜日に家族でピッツァを食べに行くような、そんな雰囲気なのである。車でものの10分足らずで来れるのだが、ちょっと遠出をしたような気分が味わえ、この店に来ると父はいつも機嫌が良く、私たちにご馳走してくれるのだった。ここのオーナーシェフはイタリア人、それもローマ人なので、当然ピッツァはぱりっと薄めのローマ風。(この間行った時には、ローマならではの、生の空豆とペコリーノチーズがでてきた)今まで父と一緒の時に、ここのローマ人オーナーと言葉を交わすことはなかった。父親としては娘がイタリア人と会話するところを見たかったらしいのだが、ちょっとくらいイタリア語が喋れるからといってひけらかすみたいで、恥ずかしくて嫌だったのだ。素直に父のリクエストにこたえてやればよかったと思う。この頃はこれも供養のひとつかもしれないと思い、彼と話をするようになった。きいてみると、店で出す野菜の多くは近くの畑で自家栽培しているというし、ワゴンで自ら取り分けてサービスするサルシッチャやローマ風コッパも手作りのものと、けっこうこだわっているようだ。いつもピッツァばかりだが、今度は別の料理も試してみようかな。

先日、フリーマーケットというものに初挑戦した。実家で片づけをしていると、よくもまあこんなものまで、というくらいのがらくたが山のようにでてくる。捨てるのは簡単だが、こんなものでも、どこかにその価値を引き継いでくれる人がいるのなら、ゴミにするより浮かばれようというものだ。実家の最寄りの大型スーパーの駐車場でフリーマーケットが開催されるのを知り、参加してみたのだ。なにしろ、こっちはモノを処分したい一心だから、どこよりも激安の店である。話には聞いていたけど、とんでもないもの、まさかというようなものから売れていくのには驚いた。例えば、父の履き古した靴である。新品同様ではあるものの、帽子やラクダの下着もあっさり売れた。結果的には、父のものが一番よく売れたのだ。家族総出で店番をして、一日の売り上げはちょうど先の店でみんなでピッツァを食べられるくらい。さっそくその晩はピッツェリアに予約を入れて、みんなで出かけた。父のお気に入りだったゴルゴンゾーラのピッツァもちゃんと注文した。なんだか、またもすっかり父に奢ってもらったような気がした。これからも、この店のピッツァは父との思い出の味、ということになりそうだ。