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04/04
春日記
今年は花見も見送りかと諦めていたら、醍醐の花見もかくやというお茶会形式のジュエリーの展示会に招かれたり(まるで舞台装置のような花吹雪!)、友人が出品している生け花展では様々な桜を堪能し、落語を聞きに行った深川では見事な八重桜が見頃だったりと、結局例年以上の趣向で桜を楽しむことができた。桜の花には心に響く特別な力、人の気配にも似た存在感がある。花そのものに香りはないけれど、まるで誘われるようにひきつけられる感じがする。桜が散ると、またたく間に初夏のような気候になって新緑に衣更である。実家の庭も、この季節には(ちょっと賑やかすぎるくらいに)次々と色とりどりの花が咲き乱れるのが常なのだが、今年はヒメウツギ、コデマリ、ハナミズキ、イチハツ、しらゆき草、しゃが、花にらなどの白い花ばかりがまず最初に咲きはじめ、一時的に完璧なホワイトガーデンになった。まるで花たちが、父のために気を利かせて色を揃えてくれたみたいだった。植物がもつ不思議な力、今年の春は私の方もそのスピリチュアルなエネルギーに敏感になっているのかもしれない。 実家と自宅を行ったり来たりの生活はあいかわらずだけれど、今月に入り、自宅にいる時間がだんだんと長くなっている。通勤して仕事場としては使っていたものの、毎日連続して住んでいないと、家というのはどこか生気を失うものだ。開かれないままの新聞が部屋の隅に積まれ、ずっと前の読みかけの本がそのままの場所に置きっぱなし、なんとなく部屋の空気はよどみ、目には見えない澱のようなものがたまる。長い旅行に出ていたような感じだ。これをひとまず初期設定に戻してリスタートをかけようと、とにかく部屋を片づけ、掃除機をかけ、シーツからなにから洗濯をし、冷蔵庫の中をチェックして買い物にでかけ、久しぶりに料理らしいものを作ってみる。考えてみたら自分のベッドで眠るのは、なんと2カ月ぶりのことだった。それから半月が経つけれど、まだ通常モードの生活に戻ったとはいえない。仕事を始めてみれば、当然のことながら、滞っていた間の分も一気に押し寄せるので、家内工業的仕事人としてはすぐ目一杯になってしまい、生活の細かな部分に手が回らないのだ。もうすこしゆったり以前のペースで過ごすようになるには、もうしばらく時間がかかりそうだ。

ふだんはイタリア料理が中心の食生活なのだけど、母と一緒に実家にいる間はどうしても和食が中心。この2カ月あまりの間、今までこんなに米のご飯を食べ続けたことはないと思われるくらい食べた気がする。なんだか顔つきまで和食系?になったような気がしなくもない。(確実に太っているかも!)とくに法事の前後は、親戚や知人の出入りが多いから「とりあえず炊けるだけご飯を炊いて」スタンバイする状態だ。いつ誰がどのように変則的に食事をすることになっても対応できるようにするためだ。そうなると、ご飯にあうおかずや塩鮭、漬物、佃煮の類いが常備されることになり、まるで定食屋か旅館のようだ。もちろん、味噌汁もかなりの頻度で作る。きんぴらや煮浸しに野菜の煮物、イワシの梅干し煮なんかも何回作ったかわからない。カレーだって一度に大鍋ふたつ、炊飯器も2台。また、訪ねてくるお客も多いので、その度に茶菓でもてなす。結果、呆れるほどの量の米や味噌、お菓子にお茶が消費された。食事だけでなく、部屋中に布団を敷き並べて寝るのも、昔の大家族の暮らしを彷彿とさせる懐かしいような光景だった。大勢で食卓を囲んでいるときに、ふと父の姿がないのが不思議に感じる瞬間があったけれど、そんなとき、ほんとは父もそばにいてくれたかもしれない。父のおかげで家族が集い、大切な時間を過ごすことができたように思う。

ヴェネツィアのマンマから絵葉書が届いた。サルディーニャを旅行中とのこと。そういえば、この間電話したとき、復活祭の休みにグループ旅行で行くんだといってたっけ。その前はイタリアのリビエラといわれるロマーニャ地方の海岸に行っていたし、やはりイタリア人のバカンツァすなわち海、という図式は不動のようである。海に囲まれたヴェネツィアに住んでいるのに、わざわざまた別の海辺へ出かけていくのだ。しかもサルディーニャとなれば、ちょっとスノッブなバカンツァという感じが漂うらしい。電話でも、ずいぶん自慢していた。私には実の母とこのヴェネツィアのマンマ、ふたりのマンマがいる。奇しくも、ふたりとも伴侶であるパパを先に亡くしてしまったことになる。ヴェネツィアのマンマ・ロージィも3年前にパパ・ヴィットリオを亡くしてから独り暮らしだ。その時のことを考えれば、ずいぶん元気を取り戻したものだ。今度は我が母のことを気遣って、次にヴェネツィアに来るときには一緒に連れてきたらいいなどといっている。できることなら、母親にヴェネツィアを見せてやりたいが、実際このふたりのマンマが顔を合わせたらどんな感じなのだろう。今のところちょっと想像がつかない。
※写真はヴェネツィアのグーリエ橋の夕暮れ