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12/03
アクア・アルタと停電
来年早々、岩手の美術館(現在ヴェネツィア絵画展が開催されている)で、ヴェネツィア的生活の講演をする予定なので、その準備を始めている。大量にあるヴェネツィアの写真などを整理していたら、一昨年のナターレのがでてきて、なんだか切なくなってしまった。おまけに、ヴェネツィアやバッサーノの友人たちから、今年はこっちに来ないのかなどというメールがきて、これもちょっと辛い。今頃のヴェネツィアときたら、通りや広場にツリーやイルミネーションが飾られて、きっと嫌になるくらい美しいにちがいないのだ。ああ!通りいっぱいに開かれた屋台市、メルカッティーノをひやかしながら飲むスパイスたっぷりのあったかいヴィン・ブリュレ!町のあちこちにプレゼピオが飾られ、パネットーネやスプマンテがウィンドーにきらきらと並んでいるはず。冬空は晴れていれば夜でも青くセレニッシマ、霧がたちこめる日もそれはそれで幻想的だ。それから有名なアクア・アルタ、これもまたこの季節のヴェネツィアならではの風景だ。

アクア・アルタは直訳では高い水という意味で、高潮、異常潮位を指す。大きくは月の満欠けによる大潮が原因だが、それに加えて季節風(アフリカから吹いてくるシロッコ)や気圧の変化、それに降水量(これは必ずしも必須条件ではない)などの複数の条件が重なって引き起こされる自然現象だ。よくヴェネツィア自体が、どんどん沈んでいくために起きていると思う人もいるみたいだけど(相乗効果として地盤沈下も影響してはいるものの)そうではなくて、それよりも潮が満ちたときの、ヴェネツィア湾の水位のほうが問題なのだ。(こちらは防波堤ならぬ防潮堤の建設計画が進められている)潮位が異常に上がると、ラグーナ全体の水の容積が膨らんで、土地の低いところから次第に水に浸かっていき、運河の流れる方向も普段と逆になってしまう。よくテレビのニュースなどで、サンマルコ広場が水浸しになって、観光客が立ち往生している様子が流れることがある。映像として面白いからだろうが、これがけっこう誤解のもとになっている気がする。島の中でも比較的低く、大運河に面したサンマルコ広場は冠水の名所?なのだ。たしかに十何年かに一度くらいはヴェネツィア全体がすっかり浸かってしまう規模(1966の高潮は大きな被害をもたらした)のこともあるけれど、通常はとくに低い場所が浸かるだけで、長靴があれば事足りる程度。それも潮の満ち干にシンクロしているから、ものの数時間の出来事だ。だからヴェネツィア人にとって、長靴は生活必需品である。(もちろん、ボートだって普段から足として使っているのだから、出動させるのもわけはないが)ホテルのロビーや水上バスの停留所などには「アクア・アルタ地図」が掲示してあって、潮が上がってきたら、どこが水に浸かってしまうのか、またはどの道を辿れば大丈夫なのかが、分かるようになっている。アクア・アルタが起こることの多い晩秋から冬にかけては通りの真ん中に大きなテーブルのような平台が積んであるのを見かける。いざとなったら、これをどんどん並べていって渡り廊下のようにするためだ。ヴェネツィアの建物はふつう1階部分は住居には使用せず、倉庫などになっている。ただ、店舗は1階だから、ドアの前に水の浸入を防ぐ防護板がついていたり、土のうを用意しているところもある。それほど、アルア・アルタは日常化しているのだ。もちろん、アクア・アルタは生活に支障をきたすやっかいなものだけれど、だからといってヴェネツィアから逃げ出そうと思う人はいないようだ。潮の満ち干や季節の変化という自然のリズムにうまくおりあいをつけ、ヴェネツィアならではの風物誌として受け入れている。実際に、ひたひたと潮が上がってくると、道路と運河の区別がつかなくなってきて、本当にすべてが水に浮いているような感じになり、その不思議な光景を目にすると、この町が世界で唯一の特別な場所なのだとあらためて実感することになる。

今年の夏、イタリア全土で大規模な停電事故があったが、その時もヴェネツィアではトラブルらしい事件は起こらなかったらしい。なにしろ翌日の昼ごろまで停電に気づかなかった強者もいたくらいだという。日中は部屋の明かりをつけない家も多いし、エアコンのある家はごく稀、自動ドア、エレベーターのある建物もないから、気がつかなかったとしてもそう不思議な話ではない。これが、日本の都市だったらどうだろうか。たった数時間、停電しただけでも大騒ぎで事故や事件が発生して、たちまち機能停止状態、パニックになったに違いない。大らかだ、といってしまえばそれまでだけれど、ヴェネツィアの生活は今でもそれくらい昔ながらで素朴なものなのだ。やはり、ここは奇跡のような場所なのかもしれない。