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09/03
リチェッタの秘密
もう9月になるというのに、今年はまだ一度もイタリアに行っていない。この数年来初めてのことだ。理由はいうまでもなく私の体調のせい。夏の間、順調に回復していると思っていた我が椎間板だけれど、おそるおそる仕事を再開してみると、やはりすこしずつ無理をしてしまうのか、ここへきてなかなかすっきりとはいかない。一進一退である。急に気温が下がってきたのも一因かもしれない。この分なら今年中にイタリアに行けるかも、というかすかな期待も遠のいた感じで、がっかりだ。しばらくおあずけ、となるといっそう行きたい気持ちがつのるのが常、私の場合一種の中毒症状のようなものなのだ。イタリア、ことにヴェネツィアにいるときのあの気分を一度知ってしまったら、もう元には戻れない。ヴェネツィアの家でマンマ・ロージィと過ごす何でもない一日は、何ともいえず満ち足りた人生至福の時と思える。ともかく一緒に台所に立つだけで、あったかい気持ちに包まれるのだ。こんな気持ちをひとりでも多くの人に伝えることができたらいいなと思い、エル・サオールを始めたわけだけれど、もちろんマンマから教わった大切なリチェッタを残さなければいけない、という使命のようなものも感じている。

さて、そのエル・サオールも秋のメニューを考えなければ。とはいえ、基本から順々にと考えているので、初回のトマトソースに始まり、その応用編の海老を使ったソースときたら、次はやはり肉のソース、ラグー(ミートソース)ということになるんだろうな。または、その応用編として肉の煮込み。煮込みをするのにいい季節になってきたことでもあるし。ラグーあるいはボロニェーゼといえば、パスタのソースとしてすぐに名前があがるくらいポピュラーだけれど、実はけっこうコツが必要であり、一筋縄ではいかないものだ。まずは手抜きは禁物、きちんと手順をふまなければ一定の味に到達しない。最初にしっかりソフリッジャーレ、つまり香味野菜をとろ火で炒めてベース作りをし、挽き肉の水分をとばしながら火を通す等々、ひとつずつクリアしていかないと、すべて台なしになってしまう。そんな大げさな、と思うかもしれない。でも、例えば表面だけ焦げた生煮えの玉ネギに、これまた肉の水分をとばしきらないうちに煮込んでしまったラグーなんて、なかなかに不味いものです。これに限らず、料理とはなにげないディティールの積み重ねであり、それが最終的な味に大きく影響する重要な点であるというのも、みなマンマ・ロージィから教わったことである。材料を加える順番、火加減、かきまぜかた、そしてもっとも気をつけなければならないのは、塩を入れて味付けするタイミング。こういう頃合いをみはからった呼吸というか、全体の流れのなかの一瞬は、本を読んだだけではわからない。いつもヴェネツィアの家の小さな台所で、マンマの傍にくっついて教わったことばかりだ。聴覚の世界に「絶対音感」があるように、味にも「絶対味感」といえるものがあるような気がする。ある一点でぴしっと決まる味の規準、といったらいいだろうか。そこを見事に射ぬくには、デリケートな作業の上に一振りされるタクトのような力が必要なのかもしれない。時々どうしてこうするの?と質問してみても、多くの場合「昔からそうしているから、とにかくそれが一番なんだ」という答えが返ってくる。つまり、マンマのリチェッタは代々口伝ともいうべき方法で連綿と受け継がれ、理由など必要としない不動のものとして確立されているらしい。そこに味の秘密が凝縮されているのだ。

マンマ・ロージィの料理は私が初めて体験したイタリアの家庭の味だ。最初、そのあまりの旨さに、さすがにイタリアのマンマの底力は凄いものだと感激した。が、それが類い稀なることだと知ったのはしばらく経ってからだった。というのも、その後何年か通ううちに、当然知り合いも増え、他の家庭に招かれる機会も増えてくる。そして、わかったのは、イタリアのマンマの料理がすべて我がマンマ・ロージィの料理のように旨いわけではない、という当たり前といえばそれまでのことだった。もちろん、どこの料理もそれぞれに工夫しているし、その家や地方の伝統の味なので興味深くもあり、おいしいのだけれど、一口食べて度肝を抜かれるようなことはない。やっぱりマンマ・ロージィは特別なのだと思い知ったのである。それとも単に私自身、自分のマンマの料理が一番というイタリア人特有の身びいきに感化されてしまっただけなのだろうか。前にも言ったように、イタリアでは家庭の味は実家のマンマからその娘へと受け継がれていく。自分の母親がとても料理が下手だったために悲惨な少女時代を送り、それが今でもトラウマになっていると話してくれたヴェネツィア生まれの友人がいる。今や彼女自身、一児の母となり、料理上手でもあるけれど、それも自分の娘には悲しい思いをさせたくないと必死に頑張った成果だそうだ。マンマ第一主義のイタリアにおいて、母親から料理を習えないというのは、かなり肩身が狭く辛いことらしい。まるで運命の糸に手繰り寄せられるように、大いなる料理人であるヴェネツィアのマンマに出会い、そのリチェッタを受け継ぐことのできる幸運にあらためて感謝しなければならない。まだしばらくは会えそうにないから、今夜あたりヴェネツィアに電話してみようかな。