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03/03
オペラに乾杯!
オペラコンサートの仕事を終え、ほっとしている。今春建て替えとなる杉並区公会堂の最後をしめくくるファイナルコンサートの企画と舞台美術、衣装デザイン、それからポスターやプログラムなどのグラフィックデザインを担当した。企画の段階からの準備はほぼ一年がかりだったが、本番の舞台はあっという間、夢のように過ぎていった。ともかく今は(座骨神経痛の爆弾を抱えながら)事故や段取りの失敗などなく無事に終えることができてやれやれ、しばしの安堵と満足の余韻に浸っている。まさに宴のあとというところだ。今回のコンサートは、オペラの有名なアリアや合唱曲をつまみ食いのようにピックアップして紹介する、オペラの初級入門といった感じのもの。とても本格的なオペラができるほどの予算はないけれど、少しだけでもその雰囲気を感じられるように、シンプルなセットと役どころにあった衣装を考えた。内容も物語が分かるよう、オペラの名曲の数々をせりふ回しとお芝居でつなげていく構成だったので、オペラは初めてという人でも楽しめたのではないかと思っている。

オペラには一度はまると逃れられない魔力のようなものがある。オペラの舞台には喜怒哀楽のドラマ、人生のすべてが凝縮されていて、その音楽や歌い手の声の響きはもちろん、舞台装置や衣装のきらめき、開幕前や幕間の華やいだ空気、幕が閉じた後の余韻に至るまで、あらゆる感性に満ちている。そのすべてを一体となって味わうのがオペラならではの贅沢な世界なのだ。ワインでいうならば、フルボディの濃密な味。なにも肩ひじ張る必要はないけれど、味わい尽くすには観る方もそれなりに気合いを要する。一筋縄でいかない奥深さがまたオペラの魅力なのかもしれない。椿姫の有名な曲「乾杯の歌」のなかで歓呼される「ゴディアーモ、ゴディアーモ」。これはイタリア語のゴデーレ、おおいに楽しもうということ。今このひとときをこころゆくまで楽しみ、謳歌しようという意味だ。オペラは人生そのものを映し出す。すべてをひっくるめ、自分の大切な人生の時間をいかに演出し楽しむかという答えが隠されているような気がする。

一般に私たち日本人は何につけゴデーレするのが苦手。イタリア人のように自己表現が得意ではないし、自分の欲望に対してあまり貪欲ではない。シャイで社交下手な性格なのはしかたないにしても、もう少し人生を楽しむことに気がついたほうがいいのにと思う。劇場へ足を運ぶ楽しみも日常の中にありながら、いつもとはちょっと違う、煌めくような特別なひとときを過ごすことにある。残念ながら日本でまだそういう状況を目にすることが少ないのは、やっぱり未だに西欧文化に対して気負いみたいなものがあるからだろうか、どこかお勉強会じみた堅さが漂う。(歌舞伎なんかでは充分まるごと楽しむことができているのにね。フォーマルパーティなども、てんでダメである)安からぬチケット代を払っているのだ、どうせならとことん楽しんだほうがいいに決まっている。劇場は舞台を観に行く場所だけれど、逆に見られる場所でもある。ちょっとおしゃれして劇場に行くのは、緊張感があって気持ちがいいし、そのほうが気分も盛り上がる。少なくとも、ゴルフ場に行くみたいなスポーツウェアやいかにも普段着といったセーターなどは、その場の雰囲気に影響するので、ご遠慮願いたい。(とはいえ、いきなり正装になってしまっても野暮だけど)まずは開幕前にシャンパーニュでも飲みながら、ホワイエの華やいだ雰囲気に浸っていると、それだけで特別な時間の始まりに気分は高揚してくるものだ。ただ、なかなかそういう気分に似合う背景となる空間が少ないのも実情。比べようがないのは分かっているけど、町そのものが劇場空間といえるヴェネツィアでだったら、劇場に向かう道すがら、すでにもう夢見心地である。開幕前のひとときはもちろん、ゆったりと中庭に出る幕間にもその夢が途切れることもない。ロビーの自動販売機や安っぽいサンドイッチの箱に出くわして興醒めしたりすることもなく安心だ。終演後、余韻に浸りながらの帰り道、通り抜ける路地や広場、ちょっと立ち寄るバールさえも舞台装置のようで、まだまだ夢の続きに酔っていられる。(何といっても、舞台より現実の方が美しいかもしれないのだから)劇場を一歩出たとたん、パチンコ屋や居酒屋のネオンにいっぺんに夢から覚めてしまう心配もない。夢ははかなく壊れやすいもの、だからディティールがとても重要なのだ。

いつもは観客の側にいて、時には文句もいっていたのに、公演を作る側になってみたら、様々な問題に今度は自分が直面することになった。大変ではあったけれど、いろんな局面を乗り越えながら、ひとつのものを大勢のスタッフと一緒に作り上げていくのは、ひとりで何かを成し遂げた時とはまた違った格別な達成感がある。その一瞬のためにすべてが注がれる打ち上げ花火のような感覚がなんともいえない。舞台上でライトを浴びるわけでなくてもこうなのだから、出演する側はなおさらだろう。オペラは観るのが楽しいか、演じたり作るほうが楽しいか。きっとそのどちらも一度経験したら病みつきになる禁断の味には違いない。