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03/02
マック・セブンティセブン
今年の春は早い。この暖かさに、椿も木蓮もこぶしもクロッカスも順番もめちゃくちゃに慌てて一斉に咲き乱れている。おまけに、まだ3月だというのに桜は満開、そしてもはや散り始めている。あまりの展開の早さに、こちらまで急かされているようで意味なく焦ってしまう。季節に追い立てられ、ぼやぼやしてはいられない気分になってくるから不思議だ。そのせいか、このところ私の周辺では遅ればせながらと、パソコンやメールを始める人が急増している。その最たるものが、ふたりとも喜寿である我が両親。私が古いマシンの処遇に困り、親におさがりのパソコンで始めるつもりがあるか打診してみたのが事の発端。正直いって「それなら、やってみようか」という返事が返ってくるとは思っていなかった。今までも何度かその気があるか訊く度に「今はまだ」としり込みしていたからだ。やはり春という季節、人を新たな挑戦に向かわせる力があるのだろうか。ならば気の変わらぬうちにと、一式を実家に運び込み、中古のパソコンショップでプリンターを買ってセット。あっという間に、父親のデスクまわりは今どきのオフィス然となった。ウチの場合マックなので、ちょっとしたデザイン事務所というわけだ。ともあれ、これが親達の自尊心を刺激したらしい。「パソコンを使う身分(?)になるとは思わなかった」とわけのわからぬことをいい、自らの日常についに改革ののろしがあがったのを実感したようだった。

友人の父上が初めての返信メールをするまでに10ヶ月要したとか、「コンピューターを立ち上げて」という指示に本人が席を立ったとかの武勇談を心の支えに、ある程度覚悟して両親にパソコン講習を始めたものの、いまだにファックス送信やビデオ録画も覚束ない相手に教えるのは、想像以上に至難の業。まずは言葉の問題にぶちあたった。共通言語がないのである。モニタやポインタ、ファイルだのフォルダ、プルダウンにクリックと、自分が普段あたりまえのように使っている用語が使えないのだ。とりあえず、矢印(ポインタ)、窓(ウィンドウ)、箱(ダイアローグボックス)、カチッ(クリック)、カチカチッ(ダブルクリック)などと呼ぶことにする。まるで戦時中の野球である。用語は後で本で覚えてもらうしかない。画面の中での距離感が掴めないから、すぐにポインタを見失ってしまうし、思ったところをクリックするのもひと苦労。すべておっかなびっくりで、マウスを持つ手にも思いっきり力が入り、コンピューターより前に自分の方が固まってしまう。(10年くらい前に、私自身初めてコンピューターに向かったときもたしか同じようだった気もするが)とにかく初日に基本操作である起動と終了を教えたら、それだけでもう教えるほうも教わるほうも疲労困憊してしまった。それでも何度か講習するうち、お互いだんだん慣れてきて、階段を一段ずつ登るようにこなしていくようになった。全く未知の領域への挑戦という新鮮な刺激が生活に与える影響は大きい。具体的な目標を持つと、人はポジティヴになる。昨日と違う、ちょっとだけ進歩した自分を発見するのは嬉しいものだ。まだまだ、道のりは長いが、そのうち「喜寿からのパソコン事始め」なんてマニュアルが書けるかもしれない。友人達の家でも親子、あるいは孫の世代まで巻き込んでパソコンを始めているケースが多い。教える側に立つのは子供や孫だったりするので、今までにない新たなコミュニケーションが生まれる。なんだか昔の大阪万博じゃないが「人類の進歩と調和」なんて言葉が頭に浮かぶ。さて、我が両親からメールが送られてくるのはいつの日か。コンピューターはウィルス感染やサイバーテロ、迷惑メールなど、ネガティヴな面もあるけれど、慎重にうまく使えばハッピーな道具。ともかくも、春の嵐とともに我が両親の改革は始まったばかりだ。検討を祈りたい。