DIARIO MENU3/00 初出版4/00 飛ぶのが怖い5/00 ヴェネツィア6/00 趣味のスズメ7/00 インターネット8/00 ドルチェ・ヴィータ9/00 アルデンテ伝説10/00 ケータイ不ケータイ11/00 江戸への逃避

12/00
はんなりまったり・いん・きょうと
京都に行ってきました。温暖化のせい?か、晩秋の京都は拍子抜けするほど温かく、紅葉もいまひとつ。しかし、思惑通りどっぷりとはんなりまったりの世界につかり、なにやら体にはお香とおだしの匂いがしみついたような。若冲展は予想以上に盛況で(自分も駆けつけておきながら〉あれ若冲って、こんなに人気があるの?と驚くほど。観光シーズンまっただなかの京都は特別拝観のラッシュ、様々なイベントがめじろ押しで、夜のお寺のライトアップ&レーザーショーというのが流行ってた。私としてはちょっとひいてしまうような感じだけれど、そこはなんでもアリの世界に冠たる観光地。それでこそ京都という気もする。そのなかで、京の町家を見せてもらえる催しがあり、これはなかなかの企画でした。町家の坪庭はヴェネツィアのちいさな庭に似ている。京都は狭い路地が多いところもヴェネツィアみたい。一歩入り込んだ路地裏は誰もいないのに、ガイドにのってるいわゆる観光ポイントへ出た途端に、わっと人がひしめいているのも同じ。まったく車が入れないヴェネツィアよりも、団体客がバスで乗りつけられる京都のほうが、その傾向は顕著。

ヴェネツィア同様、もちろん京都でもお寺巡りが定番。今回は六波羅密寺の12年に一度の御本尊御開帳の機会に遭遇。しかもこの時に限り、御本尊の観音様の指先に結びつけられた御手綱にすがって願い事をきいてもらえるラッキーチャンスつき。これを目指し、御加持の時間には巡礼姿の善男善女が集う。もちろん、はりきって列に加わるが、順番が回ってきて、かなり真剣に願い事をしている自分がおかしくもある。ヴェネツィアで教会のミサに出くわしても、よそ者として御邪魔させてもらっているという感じなのに、こうして観音様に御願いとなると、ごく自然に手を合わす気になるのだから、やっぱりどこかで神様、仏様を信じているのかな。

しかし、京都ってほんとにちまちましてて、こうなんともいえず、もわ〜としたムード。これが、はんなり、まったりというやつなのだろう。色ならば紫、ラベンダー色、ちょっとこそばゆいような「ひらがな表記」が似合う。泊まったのは料理屋さんの紹介でとってもらった祇園の宿。もと舞妓という年齢不詳の女将がごく内輪で切り盛りしている。女将とともに宿も時間を止めてしまったらしく、何もかも昔のまま。もちろん女将の京ことばをはじめ、はんなりまったりの極致。舞妓といえば、観光客相手の「舞妓さんに変身」などという企画が当たってるらしく、街には「なんちゃって舞妓」がうろうろしてる。(ヴェネツィアなら、カルナヴァレの衣装貸しますってとこだろうか)私たちから見ればいかにも偽物なんだけど、外人観光客には判別できないから、一緒に写真を撮ったりしていて妙な感じ。おそらく本人たちは双方とも満足してるだろうからいいけど。無邪気なものである。一方本物の舞妓たちは、朝すたすたと御稽古に向かう、すっぴんにさっぱりとした普段着の着物姿がそれはそれはかわいらしい。こんなお人形さんみたいな娘たちに、京ことばで甘えられたりしたら、そりゃあ誰だって魂が溶けてダメになってしまうに違いない。本物のはんなり、まったりはけっこうコワイもんである。