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アルデンテ伝説
イタリア料理といえば、まずはパスタそれもスパゲッティ。そして皆「アルデンテ」くらいは知っている。(ここが日本人のスゴイところだと本気で思う。イタリア人で例えば寿司を知ってはいても、誰もシャリなんていうのはまず知らない。それくらいコアな知識だと思う。)で、アルデンテ。デンテ、つまり歯にあたるという感じ。スパゲッティなどでちょっと芯を残した茹で加減のことをいうのはご承知のとおり。

日本人の常識化しつつあるこのアルデンテが、イタリアにおいてどの程度明確なスタンダードがあるのか。これはまったくよくわからない。茹で過ぎのぐちゃっとしたスパゲッティは問題外にしても、イタリア人のアルデンテの規準は、かなりまちまちなのだ。ここで日本人と大きく違う重要なポイントがある。それは「歯ごたえ」の感覚。少なくとも伝統的なイタリア料理のなかに、シャキシャキ、ポリポリ、シコシコなど日本人的味覚の第六感?ともいうべき要素は見当たらない。フランス料理においても、クロッカンテという感覚がもてはやされるのは、ヌーベルキュイジーヌ以降のごく新しい出来事ではないだろうか。〈今や、クロッカンテだらけで、これまたワンパターンな気も)例えば「しゃきっと緑鮮やかに」なんて具合に茹でたさやいんげんをイタリア人が食べたら「こりゃ生だ」というに違いない。ヴェネツィア人に限ってしか知らないけれど、茹でた小海老の足や頭、焼いた海老のあのカリっと香ばしい頭、巻貝のフタの下にあるコリコリしたとこ、エイヒレの軟骨のポリポリなど皆NGである。嬉々として食べているこちらは、相当不気味に見えるらしい。ただカリカリに焼いたブルスケッタやパリッと焼いた鶏のような例もあるので、ことは単純にはすまない。

あるメーカーのスパゲッティの袋には2種類の茹で時間が表示されている。ひとつはノルマーレ、普通。そしてもうひとつがアルデンテ。当然アルデンテのほうが2分ほど短い。じゃあ、アルデンテってフツウじゃないわけ?ヴェネツィアの家でマンマが茹でたスパゲッティの加減を味見するのは、いつも夫のイサオ君。マンマによれば「亭主がこれでいいといえば、それがいい茹で加減」なのだそうだ。私たちがいない時はパパがチェックしているのだろうか。ようするにそうやっておけば、文句をいわれずにすむということだ。そして私たちのアルデンテは、だいたいにおいてマンマたちにとっては固すぎるスパゲッティだった。リゾットにおいてもしかり。けれど、だんだん慣れてくると、こちらもほんのひと呼吸長く茹でたスパゲッティがうまいと思うようになってくるから不思議。スパゲッティの茹で加減ひとつにしてもさすがイタリア人、それぞれほんとに多様だ。イタリアのどこかの、そこそこのトラットリアかリストランテで、あれっと思うくらい柔らかいスパゲッティが出てきたら、それがそこの亭主のアルデンテあるいはノルマーレなのだろう。