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01/12
ALLA VENEXIANA
厳しい2011年が過ぎ、粛々と新しい年が明けました。年があらたまったからといって、何か状況が変わったということはなくて、日本全体が寒い寒い冬に覆われています。元旦からいきなり鳥島を震源とする大きな地震がありました。その後、山梨県を震源とする地震も頻発。地震情報はウェブで随時チェックしているけれど、北海道から沖縄まで日本中でひっきりなしに地震が起こっています。4年以内で70%の確率とか、15年で98%とか、巨大地震の起こる確率が報道されて、つまり私たちは時限爆弾の上に生活しているようなものです。その一方では停止中の原発を再稼動するかしないかの論議がされています。おまけに予算委員会は復興対策そっちのけ、消費税と税制一体化でのろのろと愚劣な悶着を繰り返すのみ。沖縄の基地再編の問題も、原発同様国家的ビジョンがないまま、その場限りのご都合主義、既得権の確保に追われる政治家や官僚の言動は、もはや恥しらずとしか思えません。原発は維持か廃止かなどという論議の余地なく、あってはならない存在なのです。安全性などという以前に、もとよりコントロールできない手に負えないものなのです。核廃棄物の処理問題もまったく先が見えません。ただそれが莫大な金と権益を生むシステムであったために、やみくもに作られてきてしまったのです。原発の是非を都民投票で決めようーー昨年の12月より市民団体が条例改正を申請するための署名を集めています。(実はこれを書いている2月初旬現在)締切り期日ぎりぎりで法定数に達したわけですが、この署名の受任者として周囲に同意を求めても驚くほど反応は弱く、いまさらながら原発に対する無関心、情報不足による事実誤認の多さを思い知らされました。

昨年の3.11以降、節電モードになった東京は一時ヨーロッパの町程度の灯りになり、町としての風情を取り戻したように見えました。本来陰影礼賛の文化を持つ国なのだから、抑制のある美について感じるものがあるはずだと、少しほっとしたものです。が、節電が叫ばれた夏を過ぎたあたりから、だんだん馴れてきてしまい、今やけろっと元に戻ってしまったところも多いのが残念でなりません。電車の暖房は熱すぎるし、ドンキホーテの大型モニター広告やパチンコ屋は復活するし、コンビニも24時間煌煌としている。「原発がないと電気が足りなくなるぞ」というのは、最初からただの脅しだと分かっていました。けれども、それが分かったからといって、元の電気使い放題に戻らなくてもいいのに。電気を使い放題にして、私たちは幸せになったでしょうか?より少ないエネルギーで豊かに暮らす生活に切り替えていかなければ、意味がないのです。

十数年前にヴェネツィアとそこに住む人々の自然とシンクロして生きる暮らしに出会って、生活の質、本当の豊かさとは何かに気づかされました。以来、ヴェネツィアに通い、東京においてもヴェネツィア的生活と称して小さいエネルギーで暮らす都市型スローライフを実践してきました。繁栄という名の下に効率やスピードを求めて走り続ける世界に、いいようもない不安を感じていたからです。3月のあの日以来、わたしたちの日常も大きく揺らぎました。何か現実と自分の間に1枚のフィルターがはさまっているような奇妙な感覚を抱きながら過ごしています。未来というものがきちんと描けないことが、どんなに不幸であるかも知りました。それでも、前を向いていくしかないのです。Facebookに日々の生活、料理の写真を意識的に載せるようになったのも、毎日を大切に生きようという思いからです。自分の日常を愛するのが基本、その上で支援や社会貢献をしていこうと思います。私たちは大きく価値の変換を迫られています。小さなエネルギーで豊かに暮らす、ヴェネツィア的生活はそのひとつの答えだと思っています。