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10/11
いちごの見る夢
10月22〜23日の青山まつりでの宮城県亘理町の出店のお手伝いといちごパレード、おかげさまで無事に終えることが出来て、ほっとしています。2週間あまり、東京サイドのコーディネート役、またパレードのプロデュースに忙殺される日々でした。東京で被災地の現状を伝え復興に向けてのPRをする、というのがもうひとつの支援であり、ボランティア活動のかたち、と思っていましたが、まずは一応の結果を示せたのではと思っています。土曜日のいちごパレードも、午前中のどしゃ降り加減に一時はどうなることかと危ぶまれましたが、昼頃になって急に雨が上がり、雲間から陽もさして、まさに奇跡的なタイミングで、無事パレードを行うことが出来ました。皆の思いが天に通じたのだと感じる瞬間でした。(そういえば、以前プロデュースで関わっていたオペラの本番にも、奇跡的に雨が上がるという経験をしたこともあったっけ)実はパレードの当日は親しくさせて頂いた知人の通夜でした。故人となられたSさんは、家族ぐるみでおつきあいのあった伝説的なCFディレクターの方でしたが、「俺のロケに雨は降らせない」という有名な晴れ男であったことを、翌日の告別式での弔辞で知りました。ひょっとして、あの信じられないような晴れ間は、Sさんのお力添えもあったのかな思いました。

STRAWBERRY FIELDS FOREVER---亘理町のいちご農家さんの再生を支援するパレード。あたりまえですが、どこをとってもいちごピンク。参加したボランティア仲間の皆さん、このエネルギーにあふれたピンク色にまけない、いい笑顔でした。同じいちごピンクに染まることで、気持ちがひとつになりました。沿道の皆さんからもたくさんの笑顔と、あたたかい声援をいただきました。パレードという、ある意味原始的、根源的なコミュニケーションの方法を通じて、見知らぬ人同士の気持ちが通いあうのを体験しました。人と人が自然な形で助け合うことができるんだなと信じることも。宮城の片隅に位置する亘理町のことも、この日東京の町に響いたのではないでしょうか。一緒に歩いた私の友人が「2時間近く亘理のいちご〜って叫んでたら、なんか親戚でもいるくらいの気持ちになってきた」と語っていました。私自身、ボランティア活動に向かった先がたまたま亘理町だったわけですが、宮城県亘理町という存在は、震災前にはまったく知りませんでしたし、最初は何という地名なのかさえ分かりませんでした。ボランティアをきっかけに、多くの仲間や地元の方々との出会いがあり、今では自分にとって特別な場所になっているということに、不思議な感覚を覚えます。一方で私を含め、ボランティア活動に関わる者の心境は常に揺れ動いています。つまり、自分が行っていることがほんとうに役立っているのだろうか、被災地の方々の気持ちをないがしろにしていないだろうか、もしかしたら単なる自己満足なのではないだろうかという思いにとらわれることもしばしばです。実際に瓦礫撤去などのお手伝いに出かけても、現地の方との接触は意外に少ないものです。(自治体が運営するボランティアセンターの場合、依頼者のプライバシーに立ち入ることは制限されています)ボランティア活動ですから、感謝されたくて行っているわけではありませんが、これでいいのだろうかという不安が少なからずつきまとうのです。そんな中、ボランティアの仲間と亘理の方々が、この青山まつりの場を借りて恊働し、ひとつに結集できたことは、ほんとうに意味ある機会になったのではと思います。また、国際色あふれる青山まつりならではの出会いもあり、ITALIANS FOR TOHOKU「東北復興支援 在日イタリア人の会」というグループと急遽コラボ、途中から一緒に歩いて、結局2回パレードに参加してしまいました。いちごが結ぶ日伊のご縁でした。パレードのために作ったTシャツは期間中にすべて完売し、収益にあたる金額をいちご募金に寄付することができました。

支援やボランティアをする、というと何か高邁な志をもって立ち向かうと思われているかもしれませんが、私たちの日常のなかでできることがたくさんあります。まず、東北で多くの方たちが今もなお厳しい現実と向き合って懸命に日々を過ごしていることを心に留めておくことだけでもいいのです。そして自分にできるささやかなことをみつけたら、ちょっとだけ勇気を出して手をさしのべてみましょう。その垣根を飛び越えたところに、きっと新しい世界が開けてくると思います。