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07/11
忘れないで
いよう
6月に続いて7月、宮城県亘理町を再訪、ボランティア活動に参加してきました。というのも、8月のお盆前を目処に亘理町ボランティアセンターが終了し町役場機能に統合、移行するので、その前に現地の状況を見ておきたいと思ったからです。被災地各地で同様にボランティアセンターが縮小、あるいは終了していますが、瓦礫の撤去や泥をかぶった家々の片づけが終わったわけではなく、まだまだ手つかずの地域は広大に残されています。自治体レベルでは、早くも生活支援へとシフトしていく動きのようですが、まだまだ時期尚早との声も多くきかれます。さて、今回は2度目でもあり、あらかじめボランティア仲間とアポをとっていたりで、前回よりは勝手が分かりスムースでした。作業チームもボラセン終了を知って集合した亘理町ボラリピーターの顔見知りグループに混ぜてもらったので、効率よく動くことが出来ました。この週末東北全域は雨模様でしたが、夜半の雨もちょうどセンターに到着する頃には上がり、午後の作業終了時にまた小雨が降り始めるという、まったく行いがよいというか、連日天候的には恵まれました。1日目は海岸地区のお宅の床下泥だしと庭のへドロかき、2日目は別の地区の泥まみれの食器や家財道具の洗浄、庭のドロかきの作業でした。特に2日目のお宅は震災直後からあまり作業が入っておらず、復旧にはほど遠い状態でした。頭では分かっているものの、実際に目にすると5ヶ月近く経ってもまだこんな状態なのか、と少なからずショックを受けました。作業の間、依頼者の方たちのお話に耳を傾けるのも、私たちができることのひとつ。3.11のその時、何が起こりどのように逃げて助かったか。生々しいお話はさらりと聞くのにはあまりに厳しいものでしたが、それを受け止めること、そして忘れないでいることが大切なのだと思っています。

また今回は、地元のボランティアの方の案内で、津波被害のひどかった山元町一帯を車で回ることができました。6月にはまだ無彩色の瓦礫が続いていましたが、夏になって瓦礫の山に雑草が生い茂り、すべてを失った土地に残された木々が痛々しくも美しいフォルムで佇んでいました。小学校の体育館には津波の時刻で止まったままの時計が打ち捨てられ、さらに海岸辺には、無惨な自動車の残骸が累々と山積しています。灰色の海に向かって黙鼕を捧げている間、海鳴りが哀しい叫び声にきこえて思わず落涙。この失われた世界のことを忘れないでいよう、と心に刻みました。滞在中の未明、亘理町では震度5強の余震がありましたが、我々が宿泊していたのは、蔵王方面の山側遠刈田でしたので、さほどひどい揺れではありませんでした。けれど、今まで聞いたこともないような、ゴオオオオという、山が吠えているような地鳴りとビリビリと伝わる震動を経験、あらためて地震の脅威を肌で感じました。翌朝ボランティアセンターできいたところによると、やはり相当な揺れを感じたそうです。

震災自体は悲惨で大変な凶事ですが、それをきっかけに人とのコミュニケーションのとり方、結びつきは変わりました。皆、変わらなければと思っているのでしょう。ボランティアに行くと、ほんとうにふだんとは違った様々な出会いがあります。夏休みということもあり、今回は若い人たちが多く参加していました。原付バイク2人乗りで横浜からやってきた二十歳の男子たち、埼玉からヒッチハイクでやってきた大学生、などかなり無茶な子たちもいました。彼らは今後の長い復興を担っていく世代です。未来を築くために、今ここで見ておかなければならないことがたくさんあります。きっと何かを掴んでくれたであろうことを願っています。別途にアレンジして頂いて、地元の方のお話を聞き意見交換する機会にも恵まれ、次のステップへすすむための有意義な再訪となりました。今後は物資や物理的なお手伝いと並行して、それぞれのスキルを活かしたボランティア活動をしていく段階に入っていくのだと思います。これからも微力ながら、亘理町を中心に長い復興への道のりの一助になりたいと思っています。