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04/11
IMAGINE
今年の春、季節の移り変わりはなんだかぎくしゃくしていて、その上どのような神の采配なのか、例年に比べて随分と遅い復活祭PASQUAが過ぎたと思ったら、もう5月は目の前。3月と4月がすっぽり抜け落ちたような気がしています。そればかりか3.11という日付変更線を境に、この世界はがらりと位相を変えてしまいました。津波とともに「凡庸で怠惰ながらも強固だった日常」という幻想は失われ、その代わりにどこかひりひりとした「日常であろうとする仮の生活」が始まったのです。一見すると同じようではあるものの、私たちはとても危うい不確定な世界に身を置くことになりました。特にロングスパンでもごく近いことでも、未来というものがにわかには思い描けなくなってしまいました。このことがどんなに不幸であるか、実際に経験するまで考えも及びませんでした。私たちの時間は過去も未来も傷ついてしまったのです。第一に地震速報、大気中放射線量、原発の原子炉の数値一覧、東電管区電気使用量グラフなどチェックし、シーベルトだとかベクレルなどという単位を気にするような日が訪れるとは、誰が予想したでしょうか。

自分に出来ることは何かと考え、いろいろな支援や寄付、署名やボランティアの情報を収集して、友人たちにメールで発信するようになりました。Facebookをやってると、いろいろタイムリーな情報をシェアできるので、自分が賛同できた範囲のものを共有できればと思っています。その先、何を取捨選択するのは個人の自由ですが。BCCで流してる中には、どう思われているかわからない知人もいます。押しつけがましいと思われているかもしれません。3.11以前は、私もどちらかというと署名や寄付などにあまり積極的な方ではありませんでした。選挙は欠かさず投票していましたが、それ以外の政治的というか社会的な行動にはあまり関わってきませんでした。自分ひとりが何をやろうと所詮個人の力など非力なものと、はじめからみくびっていたのかもしれません。今はそのことを省みて、改めなければと思っています。これからは世の中のことを今まで以上に注意深くウォッチし、支援も日常のひとつとして細く長く続けなければなりません。たとえ微力であっても、自分が変わらなければ、世の中も変わらないからです。

私たちの国は、経済発展の名の下により多くのエネルギーを消費するシステムを構築、推進し、CO2削減の命題とさらなる効率を求めて原子力エネルギーにシフトしてきました。特にバブル崩壊後、急速に経済を建て直さなければならないという強迫観念に追い立てられて。そしてあの日、原子力はクリーンで安全なエネルギーという神話は建屋もろとも吹き飛びました。今起きている原発の問題に対して、国や電力会社の体質や驕りを糾弾するのはたやすいことですが、使い放題の電力を享受しそして飽くことのない欲望のままに消費してきたのは私たちなのです。エネルギー消費促進型の社会へ邁進する政策に対して、危うさを覚えながらも声を上げるわけでもなく、結局のところ容認してしまった私たち。とにかく今は一刻も早い福島原発事故の収束が望まれますが、同時に原発周辺地域の救済、そして今後の原発の縮小と停廃止、エネルギー政策の変換へと繋いでいかなければなりません。また一方では、私たち自身の価値観や生活スタイルも根本から見直されなければなりません。原発を停止することによる電力不足を過度におそれたり、経済が縮小低迷し、日本が貧困国になるという論理自体も考え直さなくてはならないでしょう。膨大なエネルギーを消費し続け、無為なマネーゲームに明け暮れた結果、私たちは幸せになったでしょうか。求められているのはあらたなスタンダードです。今まであたりまえと信じていた前提条件ももう一度問うてみる態度が必要です。何より警戒すべきなのは、営利や効率ばかりを優先するあまりに心を失い、犯した誤謬を修正することができない社会です。今ならまだ間に合う、と信じたい。IMAGINE、そんな世界を想像してみよう、そうすればその思いは実現するはず。そう信じたいのです。