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01/11
イタリアは
やめられない
BUON ANNO!! 2011年もまたもや食べ物まみれで始まりました。イタリア人にとってのナターレがそうであるように、我々日本人にとってお正月といえば家族が集まって過ごすもの。それも毎年代わり映えしない同じような3が日を過ごすことが大事なんですね。そうはいっても今時は元旦からほとんどの店もスーパーも通常営業しているので、3日間おせちばかり食べていた昔とは随分違いますが。ちなみに我が実家では2日あたりには軽いイタリアンにするのが恒例のようになっています。お正月の冷蔵庫は何を作るにしても食材には事欠きませんしね。今年はイタリア統一150年にあたるとかで、NHKでは連日イタリア特集の番組を放映していて、まさにイタリア漬けのお正月でした。(望むところですが)それでもまだリアルタイムで見きれず録画していた番組がたくさんあって、ルネサンスやらフィレンツェやらナポリやら(けっこう内容的にかぶるものも多いけど)それを小出しに見る今日この頃です。こんなに大量の情報を詰め込まれて、イタリア人よりイタリアに詳しくなってしまうんではないかと心配。もちろん冗談ですけど。大丈夫、イタリア、特にイタリア人は不条理に満ち、いつまでたっても謎だらけですから。

この間のヴェネツィアでは、Acqua altaを堪能しました。十数年ヴェネツィアに通っている私たちだけれど、幸か不幸か本格的なアクアアルタに遭遇したのは今回が初めて。はじめのうちは面白がっていたけれど、さすがに毎日のように冠水して長靴となると少々うんざり。ただしアクアアルタが起こるのには南風シロッコが吹きつけるのも一因なので、概して気温は高い。なので一面に水が張った町は見た目よりは寒くないので、そこは助かる。アクアアルタに驚いて右往左往するのはやはり観光客であり、住民たちは慣れたもの。それに潮の満ち干によるものだから、しかるべき時間がくれば水はひいていく。面白いことに、水は満ちる時もひいていく時もある一線まではじわじわゆっくりだけれど、そこを超えると急に速度が増す。だいたいピークを迎えてから2時間後には長靴なしで歩けるくらいにひいている。朝の通勤・通学時間にピークになることが多く、近所の幼稚園の子供たちが父親の肩車されて通う姿がほほえましい。子供たちもちょっと楽しそうだ。アクアアルタはヴェネツィア全体が一様に冠水する訳ではなくて、やはり運河沿いの低い場所から浸っていく。冠水しやすい箇所には予めPassarelleとよばれる台が用意してあり、アクアアルタとわかれば(予報もあるし、2〜3時間前には警報サイレンが鳴る)この台を並べて長いテーブル状の渡り通路を造るしくみになっている。アクアアルタの名所であるサンタルチア駅前やサン・マルコ広場などには、この台が常備。が、我がヴェネツィアの家の最寄りのフォンダメンタ(河岸)も、かなりのアクアアルタポイントであるにもかかわらず何故かこの台がない。従って1メートル超えの冠水時には、文字通り陸の孤島となってしまうのだ。うっかり長靴なしで出かけていたりすると、水がひくまで足止めとなる。毎日冠水の具合をみて一喜一憂して苦労しているのだから、自治体に働きかけて台を用意してもらうとかすればいいのにと思うのだが。それでなければ、せめてご町内レベルで何か工夫はできないものかと思うが、一向にその気配もない。日常的に慣れてしまっているのだろうが、私たち日本人の感覚からするとあまりにも鷹揚。アクアアルタは雨が降るのと同じような自然現象のひとつとして受け入れてしまっているのだろうか。しかしまだこれはいい。

ブログにもある通り)ある朝突然テレビが映らなくなった。ヴェネツィアの家は古い集合住宅だが、アンテナは各戸ごとにたてている。聞けば同じ建物の住人の何人かが頑なに集中アンテナに反対したからだそうだ。マンマは長雨が続いて引き込み線が湿ったんじゃないかなんていっているが、よく分からない。もしかして受像機自体の不具合なのでは、と他のテレビもつけてみるが、やはりどれも砂嵐状態で映らない。しかたないね、とりあえず雨が上がってから様子をみようと言ったとたん、マンマがあっ!とあることに気づいた。今日11/30はデジタル地上波への切り替えの日じゃなかろうかというのだ。ええっ、そんなことってあるわけ?と驚愕していると、ご近所のシニョーラたちから次々電話があって、たしかに今日がその日だという。そして皆ご同様に、突然テレビが映らなくなって初めて気づいたらしい。そういえば、数日前にもデジタル切り替えになるとかならないとか、デコーダーを買わねばとか話題にしていたが、まさかこんなに直近の話だとは。口では「テレビなんて映らなくたって困りゃしない」などと強がっているものの、一人暮らしのマンマにとってテレビはなくてはならない必需品だ。デコーダーをつければいいのだったら、すぐにでも手に入れたほうがいいんじゃないというと、買うならメストレの量販店SME(ズメ)に行って少しでも安く買いたいという。しかし、よりによってこの日はかなりのアクアアルタで、メストレどころか最寄りの電器屋に行くのだってままならない。第一今頃行ったって、もうすっかり売り切れているんじゃないの?そういえばこの間大きな電器屋へ立ち寄ったら、テレビの売り場に長蛇の列が出来ていて、ナターレのプレゼントにしては早いなと思ったっけ。あれは間際にデコーダーやデジタル対応テレビを買おうという人々だったわけだ。しかし間際であっても慌てて電器屋へ走るのはどうやら一部の人たちで、多くは例によって「やれやれ、でもまあ何とかなるさ」という態度なんである。マンマもそのひとりというわけ。それにしても呆れてしまうのは、行政側の告知と対応のまずさだ。イタリアのデジタル化はローマを皮切りに州ごとに順次行われ、北イタリアのヴェネトやさらに東のフリウリなどは最後の方。その切り替えの期日も初めは10月といわれていたのが、やっぱり無理だから年内にと暫定延期となり、その後も行きつ戻りつはっきり決まらないまま、つい数日前になって急に11/30に決定!ということになったらしい。その告知も時々テレビ画面の下に小さくテロップが出るだけで、気づかないのも当然。しかし、こういった中途半端なオーガナイズに皆慣れきっているのか、とりたてて騒ぎ立てるわけでもない。結局マンマはテレビなしで数日を過ごした後、長男のアドリアーノに頼んでデコーダーをつけてもらいあっさり一件落着となった。その後もデコーダーは別に品切れになったりすることはなかったようだ。多くの人が一斉に電器屋に走り店頭はパニック、あっという間に売切れになる、なんていう日本でありがちな状況にはならないのだ。イタリア人のこの不可思議なセンスはどうにも歯がゆく感じるけれど、逆に日本のように議論の余地なく皆がまっしぐらに突進するのも薄ら怖い。常に突き進むことがよしとされる世の中と、そうでない世の中、とにかく違うとしかいいようがない。この他にも飽きもせず毎日やってる視聴者参加型クイズ番組とか、深夜にまで及ぶ熱血ディスカッション番組、あれほどまでにこきおろされているにもかかわらず一種異様なアイドル的人気の首相(今回はついに追いつめられるか?)であるとか、イタリアはまだまだ謎だらけ。そうそう、駅で切符を買おうと窓口に向かったら、「自動券売機で切符を買いましょう」キャンペーン中とかで腕章をつけたシニョリーナがやってきて説明してくれるというので、ありがたく申し出に従うことにしたのだが、彼女自身が途中でやり方がわからなくなってリタイアしたり。(ええ〜!)これだからイタリアはやめられない。