DIARIO MENU

03/10
なんとなくデジタル
春という季節のせいか、70年代逆行ヘアスタイルのせいか、この頃懐古的な気分になることが多い。不思議なことに、このアナクロなソバージュにしてから、昔の知人や友人に思いがけなく出くわしたり、ものすごく久しぶりに電話がかかってきたりして、旧交が復活することが多くなった気がする。なんかね、引力みたいなものがあるのかも。旧交が復活といっても、今時はまずメルアドを交換してメールのやりとりから。電話より連絡する時間帯や状況に気を遣わなくていいし、ブログをしてる相手なら近況も判るし、ネットってやっぱり便利だけれど、私が快適に感じる便利さはここまでで、知合いのブログでもコメント欄に書き込むのはどうも苦手だ。どうしてもという場合はしかたなく非公開コメントにする。自分のHPへのメール受付も、あまりにスパムメールが増えたので数年前に公開するのをやめた。アントネッラのすすめで、半ば強制的に登録させられてしまったFACEBOOKも正直面倒くさいし、見知らぬ人が芋づる式に仲間入りを申し込んでくるシステムにも違和感がある。友達同士ふつうにメールしあってればいいじゃん、と思うだけ。複数の知人と情報を共有するなら、メーリングリストくらいがちょうどいい。不特定多数の人間を相手におしゃべりしようとも思わないので、TWITTERも興味がない。自分のつぶやきに知らない誰かが反応したり、逆に誰かのつぶやきに共感したりするなんて、考えただけでも情報過多になりそうで息苦しい。ただでさえ雑念まみれなんだから、できるだけ情報量をコントロールしなくっちゃ。

今年になって地デジ対応テレビを買った。新年初売りの特別価格に、送料無料サービス、リサイクル料半額というトリプル割引の期間中を狙って購入。これにエコポイント、それにお店のポイントもつくのだから狸皮算でいけば、かなり割引価格で買ったことになる。内蔵ハードディスクタイプにしたら思った以上に録画が簡単なので、さっそくBSデジタルの番組や映画をせっせと録画して、すっかりテレビっ子状態になっている。逆にいうと今までなんとなく見ていたどうでもいい番組を見る暇がなくなり、ハイビジョン法隆寺特集や歌舞伎、歴史ドキュメンタリーなんぞを見たりしているのだから、少しばかりテレビ的文化度は上がっているかも。オリンピックが終わるのを見計らい、実家も続いて地デジ化。母親の好みを聞きながら番組をサーチ、BS・CSのお試し無料視聴の間に目ぼしい映画を片っ端から録画しておく作戦に出てみた。実家での週末の夜は、録っておいた映画鑑賞で過ごすようになり、こちらも無駄にテレビを見ることが少なくなった。(母親は日中韓流ドラマなんかを見てるらしいが)ところで素朴な疑問が湧くのだけど、世の中の人々はこの膨大なチャンネルと情報をどう使いこなしているのだろうか。四六時中垂れ流されるショッピング番組や、小間切れの情報番組に繰り返される再放送----。目には見えないが、知らないうちに過剰な情報と電波で汚染されていくような気がしてしまう。やっぱりデジタルな情報とつきあうのには、自分なりのルールをもって制御していくことが大事なんだろうな。

仕事が一段落したのを機会に、懸案だったMAC新機種(iMACとMACBOOK)を購入した。(正しくはイサオ君の事務所経費で)マシン自体はもちろん、アプリケーションも最新型に入れ替わるので、また新たに覚えなきゃならないことが山ほどあり、しばらくは試行錯誤の日々となる。この世界に習熟というものはない。ある程度慣れた頃に、モデルチェンジ、バージョンアップがやって来て、その度に一から出直しとなるからだ。やれやれ。ホントはね、私の仕事というか作業には古いシステムとアプリケーションで十分なんだけど、他と繋がっていく以上、世間並みのマシン環境にしないと不具合が起こるので仕方ないのだ。ここでまた素朴な疑問。皆さん、よく落ちこぼれずにこのバージョンアップのサイクルについていってるよね。例えばサイトの構造なんかもどんどん複雑かつ高度になるので、頻繁にブラウザのバージョンをアップグレードしなければならない。ファイルの送付やダウンロード、セキュリティやサインインシステムなども面倒な手続きが増えて、便利になったんだか不便になったのかよく分からない。それぞれに異なるパスワードを管理するだけでも至難の業だし、うっかり忘れてしまうとまた最初から取得し直しになる。バージョンが上がると同時にデータも大容量となり、ハードディスクの容量も膨らむ。普通に使うSDカードやメモリースティックの容量も一昔前だったらパソコンのハードディスク並みだもんね。でもその一方で、コンピューターの能力のうち自分が使うのは、ごく限定された範囲のみ。豪邸に住みながらたった1部屋しか使ってないようなもんである。要するに脳みそ同様、実際に使っている部分は全体の10分の1にも満たないかもしれないという事実。なんかちょっと居心地悪い気もする。

平日家にいる間は基本常時ネットでつながっている状態だけれど、これまで外出先や週末実家にいる間は携帯のみ。(携帯だって持ちはじめてまだ3年目なんだから)いわゆるオンとオフをはっきりさせたいので、週末はできるだけパソコンに向かわない状況にしていた。モバイルパソコンだってあれば便利に違いなく、つい依存してしまいそうなので、持たないほうが身のためと思っていた。なきゃないで大丈夫。つまり時々連絡のとりにくい人になりたいのだ。ところがかくいう私も今回ついにMACBOOK。基本的には自宅で旧MACと並行使用するつもりだけど、いざとなれば(っておおげさか)モバイラーだ。試しに実家に持っていってみる。至急の連絡やこまめにやりとりしなければならない場合には便利だけど、これで確実に週末も仕事や雑事につきまとわれてしまうだろうという予感。やっぱり、もうしばらくは非モバイルでいたほうがよさそう。デジタルツールは上手くコントロールできれば便利で有効に違いないが、それに追われるようでは本末転倒だからね。どんなに頑張っても、今や選択の余地なくデジタルな環境に放り込まれているのはたしかだけれど、思考回路はあくまで相対的に予測、想像しながらアナログのまま。そしてリアルな皮膚感覚のようなもののほうを信じている。なんとなくデジタルっていうところで、バーチャルゲームも3Dテレビも私の生活には必要ない。
なんとなくデジタル