DIARIO MENU

08/09
ALLA VEDOVA
8月生まれの母親は先日84歳になった。この頃携帯メールが少しできるようになって、時々ちゃんと絵文字も入った短文メールをくれる。まさか母親からメールをもらうことがあろうとは思っていなかったのでとても新鮮(そしてちょっと泣ける)。それにしても新しいことに挑戦する気持ちを失わないのには、我が母ながら感心する。自分がどこまでできるか試してみたいといって、ひとりで新幹線に乗って郷里である九州にも行く。母の年齢でさえそうなのだから、私などはまだまだ頑張らなくちゃいけないと思う。そういえばかたや82歳のヴェネツィアのマンマもリハビリを兼ねて、サルディーニャ旅行に出かけたっけ。まずヴェネツィアからエウロスター特急でローマまで行き、ローマに住む姪夫婦と合流、そこからは車に乗り換えて陸路とフェリーでサルディーニャへ渡るというなかなかハードな旅程なのだから、こちらもたいしたものだ。後で電話で聞いたところによると、往きはスムーズだったものの帰りは待ち時間や渋滞もあってなんと12時間を要したそうな。「それじゃあほとんど日本に来るのと同じじゃない」と笑いあった。ヴェネツィアに通うこと十数年、当然ながらマンマをはじめご近所の知合いも皆それなりの年齢に達している。女性の方が平均寿命が長いのはいずこも同じで、気がつけばまわりは年配のシニョーラばっかりという状況。元オペラ歌手のフォスカリーナ(マンマにいわせるとせっかち)、マンマとは小学校以来の幼なじみ(マンマにいわせると腐れ縁)のルチアーナ、マンマとはデコボココンビの小柄なジェンニとその姉のリナ、スノッブで物知り(マンマにいわせると蘊蓄屋)のヴィットリア、いつもおしゃれにきめているジーナ(マンマにいわせると浪費家)とその娘のサンドラ、メストレに住む従姉妹のマリーナ、カード仲間のネネにマルタも全員見事に未亡人VEDOVA、そしてそれぞれ少しずつ境遇は違うもののほとんどが独り暮らしだ。とはいえ彼女たちの暮らしぶりは活動的であり、特に人一倍面倒見のいいマンマなどはけっこう忙しいようだ。見習わなくてはと思うのは、私たちがヴェネツィアにいる間もマンマはその生活のペースを変えることはない。規則正しい生活を送る目安は、ほぼ毎日決まった時間のパッセジャータといきつけのバールでのお喋り。そうでなくとも誰彼となく電話をかけ合い、ついでの買い物や郵便局や駅での用足しを頼んだり、病院への付添やおすそ分けなどなど互いに助け合っている。週に一度、火曜の午後はカード遊びと決まっていて、茶菓子を持寄りお喋りとカードに興じる。町内会が仕切る旅行グループもあり、フリウリのカンティーナめぐりだとか、農場へアグリツーリズモとか、キオッジャの港市場だとか、しょっちゅう日帰りバス旅行に出かけている。当然のごとくどこへいようとシニョーラたちの強力なお喋りは止まらない。はじめの頃はその互いに歯に衣きせぬ物言いに驚きもしたけれど、これが彼女たち独特の社交術であり元気の源でもあるようだ。そしてそこにはちゃんとルールがあることも分かってきた。例えば毎日顔を合わせてバールでアペリティーヴォしていても長居はしない。そのままずるずると一緒に食事をすることは滅多にない。暗黙のうちに引け時があって、それぞれ家や近くに住む息子や娘の家へと戻っていく。カード遊びも飲み食いはお茶だけ、夕食前には切り上げるのが決まりだ。一緒に食事をするときは前もって約束をして招きあう。皆似たり寄ったりの年齢なのに、たとえ1歳でも年上の相手に対しては家まで送っていったり、届けものをしたりときちっと手厚く扱う。ぶつぶつ文句をいいながらでも頼まれたことは必ず引き受ける。逆にいうと頼まれもしないことには手出しをしない。面倒見はいいが、お節介ではないのだ。互いの領分を侵害することなく気分よくつきあえるよう、一定の距離をおいている感じだ。仲が良いということと四六時中ベタベタすることは別なのだ。これもまた古くから続くコミュニティーを持った都市生活者、ヴェネツィア人の作法なのかもしれない。

自分の生活ペースを守るマンマだけれど、私たちの滞在中は俄然はりきって活性化するのも事実である。勢い普段よりちょっとご馳走を奮発する頻度も高くなる。マンマと連れ立って市場に買い物に行くのは何よりの楽しみなのだけど、つましい年金暮らしのマンマに散財させるわけにはいかない。そこで数年前マンマに買い物の費用分担について提案した。常備食材のパスタやポレンタ、パンにフォルマッジョ、目利きが必要な野菜類(行きつけの店が決まっていて常連値段がある)、つまりプリモピアットとコントルニ(サラダを含むつけあわせの野菜)はマンマが持ち、比較的値の張るアンティパストやセコンドの主材料となる肉や魚、それから果物やお菓子の類いは私たちが買うというざっくりとした決まりだ。量り売りで買うヴィーノはその時々で適宜買ってくることにした。これならちょっと贅沢な食材や好奇心から食べてみたいものも気兼ねなく買うことができる。本当はもっとこちら持ちにしたいところだけど、マンマのプライドも尊重したいのでゆるめの折半。最初はしぶしぶといった様子で承諾していたマンマだが、今では計画をたてて一緒に買い出しに行くようになったし、細かい精算にも応じてくれるようになった。日本のように折にふれて現金を渡す習慣はないのだけど、サルディーニャ旅行の際には日本に古くから伝わるレガーロなのだと説明し「御餞別」を受け取ってもらうことができた。思った以上にすんなり喜んでくれてほっとする。さて、マンマがサルディーニャに出かけてしまうと、近所のシニョーラたちがマンマに代わっていよいよ自分たちの出番とばかり様子を伺いに来る。もちろん私たちが何か不自由してやしないかと心配してのことなのだが、どうやらちょっと世話を焼いてみたいらしい。マンマの言いつけ通り冷蔵庫の残り物を片づけなくちゃいけないのに、ジーナから「残り物は夜に食べればいいじゃない。お昼は私のパスタ・エ・ファジオイ(典型的なヴェネトのおふくろの味であるインゲン豆のスープ)を食べるのよ」と半ば強制的なお誘い。もちろんありがたく頂くことにする。マンマからの言伝を持ってルチアーナを訪ねると、ビールを出してもてなしてくれ、ついつい長話。日本へ帰る日の朝、家の鍵を上の階に住むフォスカリーナに返しにいくことになっていた。早起きのフォスカは朝の7時にはもうすっかり朝食(彼女らしく可愛らしい花模様のテーブルセット)を整えて待っていてくれた。山盛りの甘いブリオシュをすすめながら、カフェに生クリームを入れるか、ジュースはもっといかがとか、チョコレートまで持たせてくれて、まるで小さい子供にするような世話焼きぶり。最後は自慢のソプラノで別れの歌まで歌って見送ってくれた。シニョーラたちの家、ALLA VEDOVAはどこもほんわかと居心地がいい。そういえば偶然にもヴェネツィアで最も人気のあるオステリア(居酒屋)の店名はALLA VEDOVA「未亡人の家」という。正式には場所に倣った名前があるんだけどね。
ALLA VEDOVA