ヴェネツィア的生活>>実践編
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1.パッサジャータの愉しみ
文・写真/角井典子
縁あって友人の実家のあるヴェネツィアに通うようになって数年になる。今では休暇のたびにヴェネツィアのパパとマンマに会うための里帰り。もはや我々夫婦は復活祭の頃にやって来る渡り鳥みたいな連中と思われているかもしれない。期間限定ではあるけれど、毎日マンマの料理を食べてシエスタ、あとは町をぶらぶら、週末には皆で遠出するというお決まりのアンチクライマックスな極楽ヴェネツィア暮らし。気がつけば、カンナレッジョ区の片隅でちょっとだけ顔の知れた妙な日本人、ただでさえ拙いイタリア語もすっかりヴェネツィア訛りになっていた。それもそのはず、生粋のヴェネツィア人のパパとマンマの暮らしぶりは古風なスタイルそのまんま、ご近所のおばさん連との井戸端会議やなじみの店とのつきあいなど、昔ながらの下町風情そのものだ。居候であるこちらも、いつの間にかその小宇宙にとりこまれてしまっている。
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迷路のような路地裏歩き
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バールでのひと休みにはフラゴリーノやスプリッツを
夕暮れの町角に集う人々
ヴェネツィアのパパとマンマと一緒の筆者
さてヴェネツィア暮らしの真髄はパッサジャータ。いわゆる「散歩」ともニュアンスを異にするイタリア人の生活に欠かせない「そぞろ歩き」のこと。ことにヴェネツィアの生活はパッサジャータに始まりパッサジャータに終わるともいえる。なにしろ自動車が一切入って来ないのだから、水上交通以外はひたすら歩くのみ。狭い路地から路地、井戸のある小さい広場を通り抜け、小さな橋を渡り、ソットポルテゴという独特のトンネルをくぐり、運河沿いの河岸を歩く。ヴェネツィアは歩く快楽を教えてくれるところだ。春から夏の長い午後、まだまだ明るい夕方は地元住民たちのパッサジャータの時間。昼食後2時間ほどシエスタしているからリフレッシュも充分、本日第2部のはじまりとばかりに路上に集う。とはいえ、そこはれっきとした社交の場。パパやマンマもちょっといい服に着替え、おしゃれしてパッサジャータに出る。たった数百メートルほどの道のりなのに、次々と顔見知りに声をかけられて立ち話に花が咲く。あとはいつもの顔ぶれのバールに立ち寄りアペリティーヴォするのが、日々のささやかな愉しみであり、また大切なアクセントにもなっている。新しく買った服を見せびらかすのも、こういう時だそうだ。月夜の晩ともなれば「夜のパッサジャータに行っておいで」とマンマがせっつく。そういうものかと月明かりの運河べりに出てみれば、なるほど恋人たちがロマンティコなひとときを愉しんでいる。
ヴェネツィアに魅かれるのは、ゆったりとした時間のなかで生きる実感に浸ることができるから。ここにいると年をとるのも悪くないなと思える。もちろんヴェネツィアにも現実的な問題はいくらでもあるし、人びとの暮らしも楽なことばかりじゃない。でも誰もがヴェネツィアをこよなく愛し、自分が自分であることを目一杯表現し、そしてなによりも人生は愉しむものということをよく知っている。それがヴェネツィア暮らしの極意、毎日をドルチェ・ヴィータにしてしまう魔法なのだ。
角井典子写真
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